みなさま、こんにちはパー


今月担当させていただく

ウラジオストク派遣の渡辺です。


よろしくお願いしますグッド!




私が派遣になったのは


199910月から20012月までです。



もう10年も前の話になるんですね汗


Time flies like an arrow. 時計あせる



まずは渡航の日のことから。




930日に


新潟空港からウラジオストク航空で

入国するつもりで準備しておりました。


この日は私が選んだ日ではなく、


受け入れ先である


極東国立海洋アカデミー

(現国立海洋大学)


で決めた日で、


ここから外務省へ申請し、


招待状が出てビザが発行されました。



当然、準備万端整っているビックリマーク


何の疑いもなく、いざ空港へ。



すると



チェックインカウンターで


思いがけない事態が・・・あせる




ビザは明日から有効で、


本日のフライトには搭乗できませんひらめき電球




・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。汗




なにーっ !! 叫び !! ドクロ !!




思わず冷や汗が



タラーッ・・・・・汗





血の気が引きましたガーン




ロシアで生きていくためには



日本の常識は捨てなきゃいけないパー



とは思っていたが、




出国前に


早くもその洗礼を浴びた感じがしました。ガーンあせる





どうしたらいいのか・・・・・・はてなマークむっはてなマーク




冷静を装ってにひひ 懸命に考えました。




まずは、新潟にある


ロシア総領事館に


電話して相談してみようビックリマークチョキ



すると


外務省からの

招待状どおりに発行しただけ プンプン とのこと汗



一時は出国を諦めかけましたが、


まずはタクシーを飛ばして車


新潟駅南口にある総領事館へ。





何とか事情を説明して、


領事特権でビザを書き換えてもらいました。合格


(そんなことできるんだー)目




ちなみに


過去にこんな事例は1件もなかったということです。



(そうだろうなあパー



お値段は3000円也。ガーン


往復のタクシー代は5160円也。ショック!




もっと高くついたのは、



あまりにも驚いたので、



私の寿命は数年縮まったかなあという感じプンプンあせる




とにかく出国前から


嵐を予感させる出来事でした。




でも、いい教訓として捉えることができました。



というか



捉えることにしました。() にひひ





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