僕がいたUN International Schoolは、
基本的には国連関係職員の子弟のための
教育機関ですが、
現在は普通のインターナショナルスクールです。
ですから、
大多数の生徒はアメリカ人でした。
元々アメリカと言う国自体がその成立から
インターナショナルなのですから、
アメリカ人といってもそのルーツは様々で、
プラス、ニューヨークと言う世界中から
人が集まる大都市にあったので、
そのキャンパスは様々な人種、
国籍のるつぼでした。
ちなみにその頃の第2勢力としては
日本人生徒の数が多かったんですよ。
勿論教育の柱として、
国際平和を希求しているわけですから、
全ての生徒が訳隔てなく平等に扱われ、
理想的な一種のコミュニティーを
形成していたのです。
昼時のあのカフェテリアの
和やかな雰囲気は今でも忘れられないです。
面白いことに、
ある黒人の学生が小学校から高校まで
UNISで全然違和感なく過ごしていたのに、
卒業して大学に進学して初めて、
自分が黒人であることを意識し、
人種差別の存在を知った。
と言う話を聞いたことがあります。
思えば、派遣中の二年間は
自分のアイデンティテイを意識し、
異文化と遭遇し、
理解し融合していくことの素晴らしさを
身をもって体験できた二年間でした。
派遣前は、
物凄くアメリカかぶれであった
にもかかわらず、
いざアメリカに行ってみて、
いかにも自分が日本人であるか、
そして日本人であると言うことに
自分の存在価値を見出している、
と言うことを強く実感しました。
NYは人種のるつぼと称されるような
様々な人間の集まった雑多な街です。
自分のことを最大限にアピールし、
自分の存在価値を自分自身の手で
見つけていかなければならない。
人と同じにように
過ごしていたのでは生きていけない。
そんな厳しさもある街であり、
そこに魅力があるのだと思います。
すぐ隣にいる人は異文化だからこそ、
それを理解し、融合するために
良いコミュニケーションを
とっていく必要があるのでしょうね。
帰国してから僕のライフワークは
国際平和を希求することを
常に意識するようになりました。
理想はUNISのカフェテリアのような
そんな社会を築く努力をしていきたい。
二度と9.11のような悲劇を繰り返さないように。
