今日はいつもと全く違う話題です。
いつもの奴を期待する方は、今日はスルーお願いします。


3月の末から犬を飼い始めました。






ずっと以前から飼おうと思ってた。

ただ、ペットショップがあまり好きでないため、
どうした物か考えつつ、今に至っていた。

ふと、保険所で保護されている犬って、
今ならネットに載ってるんじゃないか?
と、ググって見た。

保険所はヒットしなかったが、
動物愛護何とかセンターのページの譲渡希望のコーナーが見つかった。
7ヶ月のゴールデンが載っていた。

犬は何でも好きだが、小さな犬は散歩がちょっと照れくさい。
できれば、子犬がいい。
7ヶ月なら、すでに見た目は子犬ではないが、
ほぼ、希望通りの犬に思えた。

それでも数日考えてから、連絡を取った。

いくつか問題をかかえた犬であることが分かった。

まず、ペットショップでかなりひどい環境で飼われており、
見るに見かねた前の飼い主さんが購入したとの事だった。

皮膚病にもかかっており(筆者が初めて会った時にはかなり回復していたが)、
今思えば、処分前提で治療もしてなかったのではないか?

つまり、売れ残って、図体だけは大きくなった犬を持て余し、
身動き取れないようなケージに入れて放置していた、と思われる。

と、まぁそのような幼児期を過ごして、優しい飼い主に出会えたのだが、
おそらくはトラウマから、
散歩時の引っ張りは尋常ではなく、
また、いたずらもひどく、干しているシーツが何枚も引き裂かれた、との事だった。

散歩するときリードを引っ張る犬の大変さは知っていたのだが、
いろいろ勉強すれば大丈夫かな、と言った程度で軽く考えていた。

何度かのメールでのやり取り、さらにお見合いを通じて譲っていただく事になった。

が、自分の体力が思ってた以上に落ちていたため、とんでもない事になっちゃうのだった。

どんな感じかと聞かれたときには、目がかわいいとかごまかしちゃったが、
出合った瞬間に飛び付かれて、うれしょんまでされちゃってたんで、
もはや、断る選択肢はなかった。

飼って見れば、誰にでも飛びつく犬って分かったが・・・

ちなみに、前の飼い主様は4頭のゴールデンを含む5頭の犬を飼っている方だ。
そんな人が飼えない犬って事をちょっとでも考えれば、
絶対にもらっちゃいけない犬だったのかもしれない。

でまぁ、そんなこんなで犬との生活が始まったんだが、
それはもう大変だった。

譲っていただいた犬、名を"ともす"と言う。
明かりを灯す、"ともす"だ。

ちょっと変だけど、悪くない名前だと思っていたが、
母は全く覚えてくれなかった。
「トム君じゃなかった、え~っと・・・」

何度教えても、こんな感じだった。

で、俺は、ほんとに必死だった。
同居する高齢の母親に飛び付いたりしない様に、必死だった。
とにかく、少しでも落ち着いた犬になるように、
一日でも早く、母が安心して頭をなでられるようにと、必死だった。
俺に何かあったときに、誰かに預けられる犬になるように必死だった。

で、必死すぎた。

あれはダメ、これはダメ。
そっち行くな、走るな、飛び出すな、

全て、ダメ。

犬もたまらなかったと思う。

が、こっちもたまらなかった。

朝晩、最低でも1時間程度の散歩、
これは最低でも1時間に及ぶつな引きを意味する。
当初は、それに加えて、少しでも興奮が治まるかと、何度も散歩に連れ出していた。
そして、部屋に戻れば延々と繰り返されるトイレの処理。

ちょっと目を離すと、すぐに悪い事をする。
これは、悪い事をすると叱りに来る=相手をしてもらえる、と理解しているからだ。
環境の変化もあっただろうし、
何より、ペットショップでの放置によるトラウマ(と筆者は考えている)、
これらによって、ほんの僅かの時間も一人でいる事ができなくなっていたようだ。
そして、一人でいるくらいなら叱られるほうが良い、と。

最近覚えた言葉を使うと、
非常に強度の分離不安なのだ。

ともすにとって、トイレも飼い主を呼びつける為の悪い事のひとつになっていた。
(ありえない頻度でトイレする)

部屋中がしっこだらけになったのを掃除して、
ほんの10分休んで戻ると、また部屋中が・・・

そして破壊活動。

体力もほぼ限界だったし、
何より破壊活動による精神的ダメージは計り知れない。

とにかく、奴の目に付く物全てが破壊された。


そして、ヘルニアが再発した。

1年位前、ヘルニアになっていたのだが、
どうにか歩けたため、普通の生活は出来た。
仕事はあまりしなくなったが。

今年になって、全く痛む事がなくなり、
仕事を減らしていたので、暇があり、
で、犬でも飼おうかと思ったのがきっかけだったのだ。

が、今度のヘルニアは地獄だった。

激痛で、ほとんど眠れないが、
横になっていると、どうしても寝返りがうちたくなる。
普通のときでもそうだが、
この時は、少しでも楽なポジションを探して寝返りをうとうとするのだ。

咳払いしただけで激痛が走る状態での寝返りは、もうほんと、大変。

途中までやっちゃうと、元に戻すのも大変で、
ただ寝返りするだけに10分や20分かかっちゃう。

ただ、座った姿勢でじっとしてると、ほとんど痛みがなかった。
もちろん、くしゃみなんて出来ないが・・・。

一晩休めば少しは良くなると信じて、4日程頑張ったが、
全く、これっぽっちも良くならなかったんで、とうとう医者に行った。
はずせない仕事があったのだ。

で、お尻に注射してもらったら、20メートルくらい歩けるようになった。

その後、数回の神経ブロック注射をやってもらって、
2ヶ月程で、かなり歩けるようになった。
最近の1週間程は、ほとんど痛みを感じる事もなくなった。

まだ痺れはあるが、ほんとに良くなった。


さて、全く歩けなかった時、
犬の散歩はどうしてたかと言うと、
もちろん、全く出来なかった。

で、ボール投げである。

ともす君、何にも出来ないが、
ボールだけは、投げると"持って来い"ができるのだ。
と言うか、何も言わなくても持ってくる。

レトリバーの本能だろうか。

で、1時間くらいは当たり前で、
休み休み2時間くらいやるときもあった。
それを朝晩。

犬のトレーニングは15分が限界とかって聞いていたのだが・・・。

もちろん、これはあまり良い事ではない。
犬が喜んでやってる事でもストレスが溜まってしまう。

元々、ストレスを発散すべき散歩で、
「ダメッ」を連発されて、逆にストレスを溜め込むような事になっていたのだが・・・。

で、まぁ、動けないんで仕方が無い。

ともすには本当に申し訳なかったが、
毎日ボール投げをしていた。

腰にはあまり良くなかったと思うが、
こっちは椅子に座ったまま、犬には相当な運動になる。

もちろん、あまりともすの相手をしてやる事は出来なかったため、
ストレスから、ともすはひどいいたずらをよくやった。
そして、俺のほうもひどいストレスで(何しろ激痛)、
とんでもない大声で叱ったりしてしまった。

で、そんな生活が1ヶ月半程続いただろうか、
家の周りくらいなら散歩(もどき)が出来るくらいになっていた頃。
その頃、どうにか庭に柵を作って昼間は庭に放すようにしていたのだが、
ともす君、その庭に面した物置(と言うか、棚と言うか)
を自分で開けて、中の物を散乱させていた。

庭に放すようにしてから、
破壊活動に関してはかなり油断していた。
エアコンの室外機がやられていたが・・・

神経ブロックの注射の日で、そのために家を開けていたのだが、
帰ってきてびっくりな状況だった。

で、散らかってる物は何か、と言うと、
なんと、農薬。

亡くなった、父が残した物だ。
おそらく、そこに仕舞ったのは母なのだが、もちろん覚えてはいない。
アリの薬やナメクジの薬、その他いろいろ殺虫剤の類が散らばっていたが、
ともす本人はけろりとしている。

箱は引き裂かれ、かじった跡もあり、
ばら撒かれている薬もあったが、
薬自体は食べてはいないようだ。

よかった、と思うと同時に、
開けられたアルミサッシの扉を叩いて、
「これはダメッ」と、なんども叱った。

そして、その夜。

12時を回った頃、窓の外で物音がした。

筆者は福岡のはずれに住んでいるが、なんと、タヌキやイノシシが出たりする。
元々いたわけではなく、十数年ほど前からだと思う。
(最近はまた、全く見なくなったが)

で、野良猫か、タヌキかと、大して気に留めなかったのだが、
なんかちょっといつもと違う気がして、
部屋を出て、勝手口の戸を開けた。

ともすがいた。

何がなんだか、ポルナレフさん状態だったが、
とにかくともすを部屋に連れて行った。

その頃、昼は庭、夜は、全ての物を撤去して
何もかじる物のない四畳半がともすの居場所だった。
で、当初は引き戸を開けることを覚えてしまい、
つっかえ棒で開けられないようにしていた。
が、落ち着いてきたのかあきらめたのか、
つっかえ棒はずっと使っていなかったのだが・・・。

この時、ともすは、外の地面から130cm程の窓の網戸を開けて、そこから飛び出し、
家の周りを半周して、筆者の部屋の前でごそごそしてたのだ。
で、部屋に戻ると、なんだか怯えている。

「どしたとね?」
「だいじょぶ、だいじょぶ」

などと声をかけながら、背中をなでながら、
何が起こったのか考えていた。

だが、怯えはどんどんひどくなっていく。

もう、わけが分からない。

怯えがあまりにもひどく、息も非常に荒くなってきた。

誰かが、侵入して来ていじめられたのか、
本気でそう思ったりもした。

網戸を閉めると、なぜか開けて、外の空気を吸おうとした。
後で分かったが、大変な高熱だったのだ。
窓ガラスに映った自分の姿に怯えたりもした。

それは、もはや怯えではなく苦しみになっていた。
「はっ、はっ」と息が激しい。

もう、ほんとにわけが分からず、
「だいじょぶ、だいじょぶ」
ひたすら、そればかり言っていた。

そのうち、立っていられず、倒れるように横になった。
しかし、じっとはしていない。
のたうつように、転げまわるようにしながら、荒い息をしていた。
床がよだれだらけになるほどよだれが出ている。

なんだか、本気で悪夢のようだった。
わけが分からないのだ。

そして、息が止まった。
手足はピンと突っ張って、
息が止まった。

驚いた俺は、
「息すんの忘れんな」って怒鳴りながら、
必死で胸をさすった。

10秒程だろうか、
胸をさすっていると、息を吹き返した。

確かにほっとした。
が、ほっとしてる暇はなかった。
大変な荒い息だ。

この頃になって、ようやく夕方の農薬散乱事件を思い出していた。

部屋に戻ってから、ほんの30分程の間の事だった。

それから、とにかく救急動物病院を検索して、
近くに見つける事ができた。

が、電話が繋がらない。

一か八か、直行する事にした。

30キロ近いともすを抱き抱えて走り回る事ができたのは、
その昼の神経ブロック注射のおかげだったが、
そもそもあの時、家を開けてなければ、こんな事にはならなかったかもしれない。
複雑な後悔の念だった。

携帯のナビで検索するが、ヒットしない。
いぶかしく思いながらも、ホームページに書いてあった近くの目印を検索してそこへ向かう。
(実はかなり新しい病院だった)

深夜であり、10分もせずに到着するが、
目印は郊外型の巨大なショッピングセンターだ。
病院の場所は分からない。

もう一度電話してみる。
と、繋がった。

おそらく農薬を食べた事、
それから6時間ほどたって急に具合が悪くなった事、
近くまで来ているが、病院の場所が分からない事、
などを伝えた。

病院へは、そこから1分もかからずに着いた。
が、先生は15分ほどかかるとの事だった。

到着して、ともすを診た先生は、
「非常に危険な状態です」
としか言わなかった。

おそらく、この時は本気で、もうだめだと思っていたんだと思う。

俺は、一晩中、苦しがって治療台から落ちないように抱きしめながら、
背中をさすって、相変わらず、
「だいじょぶ、だいじょぶ」
そればかり言い続けた。

朝の5時頃だろうか、よだれが止まった。
先生が言うには、
「いい兆候です」
だけど、やっぱり
「非常に危険な状態です」
だった。

7時くらいまでは、
その「危険な状態」だったのだが、
横倒しの状態から、起き上がって"伏せ"の姿勢が出来るようになった。

で、なんと8時には立ち上がった。

それではと、外に連れて行くと、しっこをしてウンチをしてくれた。

どうやら、突然峠を越したようだった。

動物病院でも普通の病院でも、医者は悪い可能性を告げる。
「だめ」って告げたのが回復すれば、家族はうれしいが、
「大丈夫」って告げたのがだめになると、家族は悲嘆にくれる事になる。
下手すると訴訟沙汰だ。

翌日休診日だった事もあり、
びっくりするほど元気になった、と言う事で、
その日の午後、家に連れ帰る事になった。
先生は「本当なら一週間程度は念のため入院させたいんですが」と言っていた。
もちろん、こちらが退院させたいと言ったわけではない。
それほど驚きの回復だって事だ。

それに、手に負えない犬だって事は治療中にいろいろと話していたし・・・

で、連れて帰ると、さすがのともす君も俺の膝枕で寝た。

その寝顔を見ていたら、
突然、涙がどっとあふれてきた。

「よかった~。生きててくれてありがとう」

そう言ったつもりだが、
言葉にはならなかった。

そして、ともすを起こしてしまった。

ともすは、
「どしたん?」
って顔をして、ぺろぺろと俺の顔をなめるのだった。

「よく頑張ったね。すごいね」
「ありがとね、ありがとね」
頭をなでながら言ったが、
やっぱり言葉にはなっていなかった。


その後、俺にしか分からない程度の後肢の麻痺があったりしたが、
十日ほどで、ほぼ完全に復活していた。

おそらく、27キロ程あった体重は、
(病院に到着したときに26キロ)
一晩で22キロまで落ちていた。

それほどのエネルギーを費やする闘病だったのだ。

が、完全復活に十日。

強い子だ。
本当に。


ともすは三途の川から、まさに究極の"戻れ"を実践してくれました。
奇跡の子です。

それに引換え、俺は、本当にだめな飼い主です。

前の飼い主様、
仲介してくれて、見返りもなくいろいろ世話をしてくれたトレーナー様、
本当にごめんなさい。

けど、必死です。
前も今も。

ただ、今はともすのストレスを出来るだけ減らすように努力してます。
それから自分のストレスも。

こちらの体力やストレスや腰の状態と、ともすのストレスとを秤にかけて、
妥協点を適当なところで見つけるようにしながら、

やっぱり必死です。

だけど、できるだけのんびり必死にやっていきます。


最後に、
母がどうしても覚えないのと、生き返って生まれ変わったって事で、
名前を"ライト"に変えました。

"ともす"を英語にしただけですが・・・。


これからもずっと一緒です。