第4話 「坂道を転げ落ちながら暴走」後編
保守派と改革派に分かれていったフランコニー社。勢力が強かったのは、オレを含む改革派だった。何故かといえば、社長自身がそうだったから。
いま振り返って冷静に考えると、オレは会社を存続させるためには、むしろ保守派が唱える道を進んだほうが正解だったように思う。
オレが指向した、百貨店ルートへ問屋をすっ飛ばして直取引をしながら全国展開となれば、一定数の社員を抱える必要がある。現場のセールスを外注で雇うなら外注費が嵩むし、それ以前に、現場で顧客に対して絵を販売する仕事・・・そんな甘いものではない。
余談だが、オレがよく冗談めかして言う文句がある。
「田中さん、画商さんですか。絵って、値段があってないようなものなんでしょ?」
「その通り。我々の商いっちゅうのは、道端の石ころを・・・・お客様、この石はですねぇ~・・・って優しく撫でながら10万円で売るような仕事ですわ(笑)」
もちろん、このまま言いっ放しでは業界の信用に関わるので、その後ちゃんとフォローはする。が、一流の画商さんというのは、その気になればそんなことでも出来てしまうくらい凄い人たちが多いということ。
逆に表現すれば、美術品をしっかり売りさばくだけの販売力を持てば、もはや宝石も呉服も不動産も、それなりの専門知識さえ身につければ結構楽に売れるとオレは本気で思っている。オレは、自分自身は一流の画商とは思っていないが・・・いや、マジで。
話を戻そう。
つまり、フランコニー社はあくまでも版画のメーカーであったわけで、百貨店の店頭で顧客へ作品を販売するノウハウは無かった。当時たまたま銀座と南青山に小売の画廊を出店していて、その店に配属されていたスタッフ数人はそんなノウハウはある程度身に付けていたが、当時会社が抱えていた負債や不良在庫、社員数や事務所・小売店の数か所にわたる家賃等をペイするだけの利益を継続的に捻出するためには、もっと大人数の精鋭達による販売部隊が必要だった。
オレが先頭となり、全国展開の足掛かりを試みようとはしていた。しかし、自分を含めて、顧客へしっかりと販売出来るようなノウハウを当時持ち合わせていたスタッフはごく少数だったために、なかなか思うような実績は上がらなかった。もちろん、保守派たちの売り上げは上回っていたが。
そしてそのうちに、会社の火の車状態はさらに悪化していった。、
まず、社員たちの給料を捻出するためにキャッシュが要る。それが無ければ借りるしかない。しかし、貸してくれるような先もバブル崩壊劇の最中である。相手を選ぶ。選ばれるためには、そんな相手を上手く騙すしかないわけだ。
社長は凄い人だったと思う。
今でも鮮明に記憶に残っているシーンが二つある。
銀行の融資返済が出来なくて、社長が担当者に返済を遅らせてもらう交渉に行った。そして会社へ帰って来た。経理のおじさんが冷や汗流しながら心配そうに、
「社長、どうでしたか・・・」
そこで社長、大笑いしながら、
「返せないんだから、はっきりと返せませんって言ったんだよ。で、担当の彼、ず~っと黙ってるからさぁ、じゃあウチは倒産ですか?って聞いたんだ。でもまだ黙ってるからさぁ、こんな莫大な不良債権がお宅の銀行に残っちゃったら、○○さんの責任になりませんか?そんなことになれば、○○さん、僕と一緒に心中することになっちゃうかもしれませんよねって言ってやったんだよ。そしたらあと1ケ月待ちましょうってさ(笑)大丈夫、大丈夫!」
もうひとつのシーン。
当時の改革派の部長と昼飯を食いにいって会社に戻ろうとしたら、その部長が突然眉を潜めて、
「お~い、田中クン、いま会社に戻ったらヤバいぜ!」
「えっ?どうしたんですか?」
「ほら、アレアレ、見てみろよ!」
会社のビルの前に明らかに懲りない面々が5~6人タムロしている。さすがにオレもピンと来た。社長が繋ぎ資金を工面するために、何かをしでかしたのだ。
何をしたかと言うと、当時、業者間で即札束に変えれば恐らく2~3千万くらいの巨匠の絵画を在庫で持っている画商からその作品を委託で借りてきて、他へ転売したのである。その先は、業者間だけで営まれる競り市として知られる交換会。
交換会について、ちょっと説明しておこう。その昔から、画商や骨董商などは恐らく胡散臭い連中が多かったためか、なかなか銀行から金を借りるのが難しかったらしい。そんな事情から、同業者同士で言わば助け合いの会のようなものが結成されたのである。
Aさんがお金に困って、ある作品を会に出品した。Bさんが、ちょっとだけ値段に色をつけてそれを買ってあげる。で、Bさんが会の主へお金を支払うのは例えば1ケ月後。そしてAさんには、その会の主がBさんからの入金を待たずに1週間後に渡す・・・ってな具合である。現在はかなり色々なタイプの会があるので、取決めも種々雑多ではあると思うが。
社長に貸した作品を持っていた画商は、即現金なら2~3千万になる在庫をそのまま売らずに持っているわけだ。つまり、そこまでお金には困っていない。そんな画商が社長にその作品を貸し出すのなら、それなりに利潤を乗せるのが当然。恐らく、当時のバブル崩壊時にも関わらずそんな高額品を余裕で抱いていたヤリ手画商なら倍くらいの金額で社長に貸したと思う。どうせ売れた暁には値切られることも見越して。
社長はその作品を、なんと交換会に持ち込んで現金を捻出したのである。つまり即金で2~3千万を握りしめて会社に戻ったのだが、近日中には作品を借りた画商へ4~5千万を払わなければならないのだ。で、それが約束の期限を過ぎても払えなかったのだろう。
もしも、オレがその画商だったら。確かに、怖い面々を雇って出向くかもしれない(笑)
オレと部長が会社へ戻った時、他の社員連中は裏の倉庫で、少しでも高額で仕入れた在庫をせっせと抱えて隠していたらしい。もちろん社長の指示で。そして、角刈り黒服を連れた画商さんが現れて、隠せなかった在庫を束のように持って帰ったとのこと。
ちなみに持ち帰った作品内容を換算すれば、その画商さん、元は取れなかったと思う(笑)
社長はいつもの調子であった。満面の笑みを湛えながら
「二束三文の在庫だったけど、結構換金出来たよなぁ!良かった良かった(笑)」
社長には、本当にお世話になったと思っている。
当時、オレもまだ若かったし、必死だった。そして、会社を背負っているという自負もある程度あったし、それに短期間で美術業界で一定のレベルまで昇って行ったような勘違いも大いにあった。ので、取引先、売り込み先に対して交渉事が通らないと、すぐに口喧嘩をしていたのである。ちょっと偉そうにしたいという下らない欲もあったのだ。そして交渉決裂・・・。
ある日、社長に言われた。
「田中クンはなんで喧嘩するの?どうせ止めるんだったら、わざわざ喧嘩するよりも何も言わずに頭下げて帰って来た方が僕は得だと思うんだけど・・・。」
いま考えれば、ごく当たり前のことである。
しかし、オレはまだそんなことすら気付かずにいた若造だったのだ。目から鱗が落ちた瞬間だった。恥ずかしながら・・・。
そして、いよいよオレが、そんな社長の元を去る時が近づいてくる・・・。
次回予告 第5話「坂道を転げ落ちながら暴走 最終回」
いま振り返って冷静に考えると、オレは会社を存続させるためには、むしろ保守派が唱える道を進んだほうが正解だったように思う。
オレが指向した、百貨店ルートへ問屋をすっ飛ばして直取引をしながら全国展開となれば、一定数の社員を抱える必要がある。現場のセールスを外注で雇うなら外注費が嵩むし、それ以前に、現場で顧客に対して絵を販売する仕事・・・そんな甘いものではない。
余談だが、オレがよく冗談めかして言う文句がある。
「田中さん、画商さんですか。絵って、値段があってないようなものなんでしょ?」
「その通り。我々の商いっちゅうのは、道端の石ころを・・・・お客様、この石はですねぇ~・・・って優しく撫でながら10万円で売るような仕事ですわ(笑)」
もちろん、このまま言いっ放しでは業界の信用に関わるので、その後ちゃんとフォローはする。が、一流の画商さんというのは、その気になればそんなことでも出来てしまうくらい凄い人たちが多いということ。
逆に表現すれば、美術品をしっかり売りさばくだけの販売力を持てば、もはや宝石も呉服も不動産も、それなりの専門知識さえ身につければ結構楽に売れるとオレは本気で思っている。オレは、自分自身は一流の画商とは思っていないが・・・いや、マジで。
話を戻そう。
つまり、フランコニー社はあくまでも版画のメーカーであったわけで、百貨店の店頭で顧客へ作品を販売するノウハウは無かった。当時たまたま銀座と南青山に小売の画廊を出店していて、その店に配属されていたスタッフ数人はそんなノウハウはある程度身に付けていたが、当時会社が抱えていた負債や不良在庫、社員数や事務所・小売店の数か所にわたる家賃等をペイするだけの利益を継続的に捻出するためには、もっと大人数の精鋭達による販売部隊が必要だった。
オレが先頭となり、全国展開の足掛かりを試みようとはしていた。しかし、自分を含めて、顧客へしっかりと販売出来るようなノウハウを当時持ち合わせていたスタッフはごく少数だったために、なかなか思うような実績は上がらなかった。もちろん、保守派たちの売り上げは上回っていたが。
そしてそのうちに、会社の火の車状態はさらに悪化していった。、
まず、社員たちの給料を捻出するためにキャッシュが要る。それが無ければ借りるしかない。しかし、貸してくれるような先もバブル崩壊劇の最中である。相手を選ぶ。選ばれるためには、そんな相手を上手く騙すしかないわけだ。
社長は凄い人だったと思う。
今でも鮮明に記憶に残っているシーンが二つある。
銀行の融資返済が出来なくて、社長が担当者に返済を遅らせてもらう交渉に行った。そして会社へ帰って来た。経理のおじさんが冷や汗流しながら心配そうに、
「社長、どうでしたか・・・」
そこで社長、大笑いしながら、
「返せないんだから、はっきりと返せませんって言ったんだよ。で、担当の彼、ず~っと黙ってるからさぁ、じゃあウチは倒産ですか?って聞いたんだ。でもまだ黙ってるからさぁ、こんな莫大な不良債権がお宅の銀行に残っちゃったら、○○さんの責任になりませんか?そんなことになれば、○○さん、僕と一緒に心中することになっちゃうかもしれませんよねって言ってやったんだよ。そしたらあと1ケ月待ちましょうってさ(笑)大丈夫、大丈夫!」
もうひとつのシーン。
当時の改革派の部長と昼飯を食いにいって会社に戻ろうとしたら、その部長が突然眉を潜めて、
「お~い、田中クン、いま会社に戻ったらヤバいぜ!」
「えっ?どうしたんですか?」
「ほら、アレアレ、見てみろよ!」
会社のビルの前に明らかに懲りない面々が5~6人タムロしている。さすがにオレもピンと来た。社長が繋ぎ資金を工面するために、何かをしでかしたのだ。
何をしたかと言うと、当時、業者間で即札束に変えれば恐らく2~3千万くらいの巨匠の絵画を在庫で持っている画商からその作品を委託で借りてきて、他へ転売したのである。その先は、業者間だけで営まれる競り市として知られる交換会。
交換会について、ちょっと説明しておこう。その昔から、画商や骨董商などは恐らく胡散臭い連中が多かったためか、なかなか銀行から金を借りるのが難しかったらしい。そんな事情から、同業者同士で言わば助け合いの会のようなものが結成されたのである。
Aさんがお金に困って、ある作品を会に出品した。Bさんが、ちょっとだけ値段に色をつけてそれを買ってあげる。で、Bさんが会の主へお金を支払うのは例えば1ケ月後。そしてAさんには、その会の主がBさんからの入金を待たずに1週間後に渡す・・・ってな具合である。現在はかなり色々なタイプの会があるので、取決めも種々雑多ではあると思うが。
社長に貸した作品を持っていた画商は、即現金なら2~3千万になる在庫をそのまま売らずに持っているわけだ。つまり、そこまでお金には困っていない。そんな画商が社長にその作品を貸し出すのなら、それなりに利潤を乗せるのが当然。恐らく、当時のバブル崩壊時にも関わらずそんな高額品を余裕で抱いていたヤリ手画商なら倍くらいの金額で社長に貸したと思う。どうせ売れた暁には値切られることも見越して。
社長はその作品を、なんと交換会に持ち込んで現金を捻出したのである。つまり即金で2~3千万を握りしめて会社に戻ったのだが、近日中には作品を借りた画商へ4~5千万を払わなければならないのだ。で、それが約束の期限を過ぎても払えなかったのだろう。
もしも、オレがその画商だったら。確かに、怖い面々を雇って出向くかもしれない(笑)
オレと部長が会社へ戻った時、他の社員連中は裏の倉庫で、少しでも高額で仕入れた在庫をせっせと抱えて隠していたらしい。もちろん社長の指示で。そして、角刈り黒服を連れた画商さんが現れて、隠せなかった在庫を束のように持って帰ったとのこと。
ちなみに持ち帰った作品内容を換算すれば、その画商さん、元は取れなかったと思う(笑)
社長はいつもの調子であった。満面の笑みを湛えながら
「二束三文の在庫だったけど、結構換金出来たよなぁ!良かった良かった(笑)」
社長には、本当にお世話になったと思っている。
当時、オレもまだ若かったし、必死だった。そして、会社を背負っているという自負もある程度あったし、それに短期間で美術業界で一定のレベルまで昇って行ったような勘違いも大いにあった。ので、取引先、売り込み先に対して交渉事が通らないと、すぐに口喧嘩をしていたのである。ちょっと偉そうにしたいという下らない欲もあったのだ。そして交渉決裂・・・。
ある日、社長に言われた。
「田中クンはなんで喧嘩するの?どうせ止めるんだったら、わざわざ喧嘩するよりも何も言わずに頭下げて帰って来た方が僕は得だと思うんだけど・・・。」
いま考えれば、ごく当たり前のことである。
しかし、オレはまだそんなことすら気付かずにいた若造だったのだ。目から鱗が落ちた瞬間だった。恥ずかしながら・・・。
そして、いよいよオレが、そんな社長の元を去る時が近づいてくる・・・。
次回予告 第5話「坂道を転げ落ちながら暴走 最終回」