フリーター生活、自殺未遂/日本哲学者、純一 再び脚光(略)
やあ、皆さん、お久しぶりです。
私は現在、アルバイトをしながら生計を立てています。
哲学を始めてそろそろ十年に成ります。
なんでも哲学純一統一理論という、体系的哲学も打ち立てる事が出来、
昔から続けていた哲学の実践を社会の中で行っています。
今度もまた、突飛な事を考えています。
此処に来た頃の私とは全く違う、哲学と言えるのかどうかも分らない、
そんな代物に私の哲学は進化して行きました。
今夜はそれを、開陳致します。
では、>>1
のテーマに戻ります。
バタイユ論を語っても、一人も理解していないでしょうから。
■20~25「引き篭もりニート」
親も元気でまだまだ学生気分で毎日2ch三昧で幸せな日々
友人達は社会人に影で馬鹿にされつつ徐々に疎遠になり友人居なくなる。
現実からは目を背け楽な方に楽な方に逃げる毎日
親と仕事の事でよく喧嘩するがその内就職するだろうと親もまだ楽観的
「うるせえ糞ババア」「働いたら負け」「30で自殺するから今が楽しければいい」
■26~30「ウンコ製造機」
親の退職が近くなり家にさえも居辛くなる
たまに求人見てみるも既に手遅れ底辺の仕事しかなく絶望する
友人達は次々に家庭を持ち始める。式に招待されても、もちろん行ける訳も無く
死ぬ予定の30が日に日に近くなり鬱病に。やっぱり死ぬの怖い
現実から強引に目を背けるのも限界に。日に日に弱っていく親。親も鬱病に。
その内、毎日仕事の事で親とマジ喧嘩。親を泣かせる日々。
「就職活動してるって言ってるだろ!(注:してない)」
「正社員になっても将来不安なのは一緒」「無職沢山居るから何とかなる」
■31~35「ゴミ」
親が退職。収入が無くなり親も日に日に必死になる。毎日修羅場。
ようやく重い腰を上げるも既に末期。正社員は無理。
若ければ誰でも入れるブラック大手でさえ怪しい。状態。
言い訳、泣き言ばかりがリフレイン。カワイソスw
■35~「乞食」
全て自分の責任なのだが、精神的に子供のままココまで来てしまった為
親が悪い。時代が悪かった。国が悪い。と泣き言を言って自分を慰める日々。
親の貯蓄もいい加減限界に。しかし今度は親の年金を当てにし始める。
親が死んでも遺産が有ると考えてしまう根っからの屑になってしまった。
親が死に期待していた遺産キター!が、相続税で持って行かれてしまう。
今度は国にたかる事を考え生活保護の申請するが余裕で却下され、
日本で生きていく事の大変さを思い知る。が誰も助けてくれず。
そのうち住む場所も無くなってしまい住所不定に。
ぴかぁ~は現在28才ですので、ウンコ製造機にあたります。
■26~30「ウンコ製造機」
親の退職が近くなり家にさえも居辛くなる
たまに求人見てみるも既に手遅れ底辺の仕事しかなく絶望する
友人達は次々に家庭を持ち始める。式に招待されても、もちろん行ける訳も無く
死ぬ予定の30が日に日に近くなり鬱病に。やっぱり死ぬの怖い
現実から強引に目を背けるのも限界に。日に日に弱っていく親。親も鬱病に。
その内、毎日仕事の事で親とマジ喧嘩。親を泣かせる日々。
「就職活動してるって言ってるだろ!(注:してない)」
「正社員になっても将来不安なのは一緒」「無職沢山居るから何とかなる」
ぴかぁ~は現在この様な状態です。
今年は29才になりますので、後1~2年で次のレベルに以降します。
■31~35「ゴミ」
親が退職。収入が無くなり親も日に日に必死になる。毎日修羅場。
ようやく重い腰を上げるも既に末期。正社員は無理。
若ければ誰でも入れるブラック大手でさえ怪しい。状態。
言い訳、泣き言ばかりがリフレイン。カワイソスw
■35~「乞食」
全て自分の責任なのだが、精神的に子供のままココまで来てしまった為
親が悪い。時代が悪かった。国が悪い。と泣き言を言って自分を慰める日々。
親の貯蓄もいい加減限界に。しかし今度は親の年金を当てにし始める。
親が死んでも遺産が有ると考えてしまう根っからの屑になってしまった。
親が死に期待していた遺産キター!が、相続税で持って行かれてしまう。
今度は国にたかる事を考え生活保護の申請するが余裕で却下され、
日本で生きていく事の大変さを思い知る。が誰も助けてくれず。
そのうち住む場所も無くなってしまい住所不定に。
これはぴかぁ~が年齢を偽っていた場合、
既にこうなっている可能性もある訳です。
お前フリーターなんだろ
似たようなもんだ
純一は自身「ゴミ」といってる
相変わらずしょ~もない事ばっかり言うとるのぅw
ぴかぁ~がどうとかいう話はワシらにとってはどーでも良いんや。
純一自身の思想を早う開陳せんかい。
>>23
> 純一自身の思想を早う開陳せんかい。
開陳したのですが、誰も私のバタイユ論を理解しないので、
世間話に変えますよ。こっちの方がみんな興味あるでしょう?
>>21
> お前フリーターなんだろ
> 似たようなもんだ
私純一はただ今、自給650円で頑張っておりますよ。
毎日、3~5時間働いて帰るのです。
残りは自由時間となり、そこで思考するのです。
暇な人は私の様にこんな生活をすれば良いのです。
大体、月に5~6万は入る上に自由時間は20時間近くあり、
大変お得な設定となっております。
寝床に困る場合なら、ネッカフェのお得なセットパックを使いましょう。
尤も、歩き回っていればマックに入り浸る方がお得かもしれません。
食事も兼ねてマックに行き、ネッカフェに行ったらシャワー浴びて即寝るのです。
私の場合、実家や知り合い宅はあるのですが、色々うるさいのでそうする事もしばしばです。
新宿近郊ならば、電車賃もあまりかかりませんから、
車等を使わずとも徒歩が一番です。
寒さが気になるのならば、店に行けば良いのです。
平日の昼間なんてどこの店もガラガラです。
哲学者ならば、観察も兼ねて色々と歩き回りましょう。
コンビニで筆記用具とメモ帳を買い、思考を始めます。
公園のベンチに座って、太陽光を浴びるとそこそこあったかくなります。
雀の鳴き声を聞きながら、思考に思いをはせるのです。
太陽光でも寒いのなら、歩きながらメモすれば良いのです。
さまざまな発見があります。
それではまるで哲学者のようではないか。
ところで月に5~6万で生きていける地域が日本にあるんでしょうか?
>>25-30
非常に参考になった。
俺もいざとなったら純一的生活を実践しようと思う。
>>31
哲学者だろ?
純一は岡山在住でしょう?倉敷あたりだと散策も楽しいけど、あんまり北だと雪がこの季節
ふるからね。大変だね。。もし山陽本線沿いなら、何もないから冬の空を仰ぎながら、
思索にふけり、『冬の散歩道』を口ずさむか・・。
すいません、メリットだけを強調し過ぎたかもしれませんので、
デメリットも書いておかなければならないでしょう。
■26~30「ウンコ製造機」
親の退職が近くなり家にさえも居辛くなる
たまに求人見てみるも既に手遅れ底辺の仕事しかなく絶望する
友人達は次々に家庭を持ち始める。式に招待されても、もちろん行ける訳も無く
死ぬ予定の30が日に日に近くなり鬱病に。やっぱり死ぬの怖い
現実から強引に目を背けるのも限界に。日に日に弱っていく親。親も鬱病に。
その内、毎日仕事の事で親とマジ喧嘩。親を泣かせる日々。
「就職活動してるって言ってるだろ!(注:してない)」
「正社員になっても将来不安なのは一緒」「無職沢山居るから何とかなる」
■31~35「ゴミ」
親が退職。収入が無くなり親も日に日に必死になる。毎日修羅場。
ようやく重い腰を上げるも既に末期。正社員は無理。
若ければ誰でも入れるブラック大手でさえ怪しい。状態。
言い訳、泣き言ばかりがリフレイン。カワイソスw
やはり、この様な事は現実問題として存在するので、
その辺のデメリットを自覚していないとこういう乞食生活は難しいと言えます。
>>36
いや、それでもやはり純一のような生き方にはある種の魅力のようなものを感じるね。
たとえ周りの人間や世間から後ろ指を指されようとも、
そうやって物を持たずに身1つで生きていくのは気楽な感じがする。
とくに今の日本は東海、東南海、南海地震をはじめとして
それ以外の所でもいつ大地震が来ても全くおかしくない状況だし、
そうした時には失うものを沢山持っている生き方よりも
失うものなく我が身一つで生きていく生活の身軽さが逆にプラスになりそうな気がする。
特に私の場合、友人にはかなり馬鹿にされます。
まあ、それも当然の事ではありますが、哲学は一般には理解されがたい事です。
それから気付いたのですが、私の様な生活を送る場合、都心部で無いと
きついかもしれませんね。ショッピングモール等は基本的に屋内なので、
歩き回っても辛い事は無いですが、こういう施設が集中してない場所となると、
移動にも徒歩では辛いでしょう。ですから、言ってみれば、これはある程度
公共的な施設を使って、半乞食になるといったところでしょう。
そして、これはネットカフェ難民と呼ばれます。私はまだ実家があるので
まだまだ気楽なのですがね。
徒歩で移動する場合、都心なら近場で200円程度で移動出来る筈です。
他にも都心になる程、徒歩に特化した施設、即ち、アーケードや歩行者天国的な
道路、それに公共施設も充実して行きますから、逆に車や単車、自転車すら邪魔に
なって行きます。
つまり、都市の機能自体が個人的に所有する移動手段を拒絶している訳で、
逆に都市部になる程徒歩が便利になる様に設計されているところがあります。
即ち、都市部というのは、基本的に「屋内」と考えられる訳です。
ところで、今のネットカフェ難民にさきがけた運動は
既に1990年代から存在していました。
だめ連
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%A0%E3%82%81%E9%80%A3
これは帝国で一躍有名になったアントニオ・ネグリの
アウトノミア運動の日本版運動という形がだめ連という形をとった訳です。
> アウトノミア運動というのをご存知だろうか。
> アウトノミアとは自律(英語のオートノミー)を意味し,
> 学校・工場・街路での自治権の確立のみならず,「労働の拒否」や
> スクウォット(空家占拠),自由ラジオ(海賊放送)などユニークな
> 実践に発展した新しい社会運動のことだ。
> 日本で労働の拒否といえば「だめ連」,スクウォットといえば
> 京大で取り壊し前の今西錦司記念館を学生らが「きんじハウス」と名づけ
> 占拠した数年前の事件が思い浮かぶ。自治を掲げる駒場寮運動も
> 当然アウトノミア運動と呼べるだろうし,ごくごく広い意味にとれば,
> スクウォットとも言えるかもしれない。
以上はここからの引用でした。
http://www.minc.ne.jp/~saito-/travaux/crit_TUNews.html
私純一も一時期、こういうアウトミノア運動に魅了され、
その実践を画策していましたが、今はこの運動は下火だと言えます。
私は現在、新宿ロフトプラスワンと交流スペースあかねを併用して、
新たなアウトミノア運動を画策しているのですが、
恐らくこのスペースからはもはや新しい運動は生まれないだろうと
予想しています。
というのも、現在この二つの、
現代思想業界から言えば、フリースペースは、
現在のところ、クラブの一種と成り果てていまして、
それは、何らかの資本制であれ、生産制への異議申し立てであれ、
そういった機能は持っていないと言えるからです。
精々、それは都市部の落ちこぼれの捌け口、あるいは
ストレス解消の為の遊び場という程度の機能しかもっていません。
これを何か別の運動に昇華、あるいは止揚すれば何かが生まれる可能性はありますが。
純一さんに質問なんですが、デカルトの哲学についてを簡単に教えてもらえませんか?
デカルトですか?
さて、そこで私は考えました。
アウトミノア運動が失敗するのならば、発想を逆にすれば良いとね。
先日、全共闘で三島由紀夫と対談した小阪修平が死んだのですが、
この人の遺作ととも採れる一冊の新書があります。
「思想としての全共闘」なのですが、感覚としては全共闘は
1970年代を最後の世代と捉える事が出来ますが、実のところ、
私はまだ全共闘の感覚で生きているのです。私が現在、半ヒッピーの
様な生活をしているのは、言わば、この感覚から抜け出せないからなのです。
この歌達は丁度私の感覚、
つまり、アウトノミア運動の失敗の「その後」の感覚をよく表しています。
森田童子 『ぼくたちの失敗』
http://www.youtube.com/watch?v=7H5555py7OA
悲しくてやりきれない フォーククルセイダーズ
http://www.youtube.com/watch?v=hfzxpHnIRis
私があかねやロフトプラスワンに行くと、ぴかぁ~の様な下衆に良く会います。
まあ、彼等はどちらかと言うと、我々とは違う、
思想とは関係の無い人種であります。
如何に社会から寄生的手立てによって、収入を得ようとしている。
つまりは、如何に楽して稼ぐかという、一種のギャンブラー的性格の
人間達だとも言えます。そういう場所に私が混ざるとたちまち
不適応を起こすのですが、それは思想的な理由なので当たり前です。
ところで、私の様な生活をする者は古代ギリシアにも存在しました。
キニク派
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%B3%E3%82%B9%E6%B4%BE
ぴかぁ~は自分が松本人志の様に成れると思っているし、
また、東浩紀でも良いのですが、何かしら文句を言って稼げる
という幻想を持っています。これは一発当てれば有名人になれる
そして、金が入るという発想が根本にあります。
また、kyrieはキャラ的に知的なキャラで行きたいという、
多分にファッション的な問題から哲学を摂取しようという意図が見えます。
これらの根本的な動機がそもそもこの様に不純であると、
運動も上手く行きません。
ぴかぁ~やkyrieの様な人種は、あかねやロフトプラスワンでは、
如何に女性を捕まえるかという事に終始している連中です。
私純一はそれを横目で見ている。
そして、思想が思想らしく使われていない堕落した現場を
そこで見る訳です。しかしながら、身分としては私は彼等と
変わらない。ぴかぁ~はニートですが、私純一は精々フリーター
という程度でしかありません。日々の最低限の稼ぎで、凌ぎ、
そして、たまにあかねやロフトプラスワンで情報を集めている
という程度です。ロフトプラスワンに来る者の中には、そこから
マスメディアや雑誌への人脈を求めて来る者も大勢いますが、
私はそこにもまた居ない。
私は日々、どこかを歩いています。
時間帯は昼間です。日向の中にいると赤外線で暖かい。
皆さんは気が付かないと思いますが、そこには
日向の中の道路の美学があります。
そこは普段、労働の時間帯を通しては見れないものが沢山あります。
川の流れをずっと見ている時、それは無意味な時間であります。
夏場ならば、蚊がやってくるでしょう。しかしながら、それを見れない
というのは面白い事であります。人の居ない道路や店は、普段の我々の
日常では無い。そこから在り様が変わっているものだと言えます。
周波数です。
私は真夜中、即ち、3時位でしょうかね?
その辺りに遠く離れた自動販売機に缶コーヒーを買いに行くのです。
しかしながら、真っ暗な静寂の中に一人煌々と明かりを煌かせる
その物体は何かしら人の様なのです。
ただ、真っ暗な中で一人だけ喋り続けるお喋りな機械の様です。
私はそこに明かりと温もりを求めていくのですが、確かに自販機の
明かりを見ると、落ち着きます。そして、この明かりを一体誰が
設置したのか?等と考えるのです。確かにこれは誰かの人が設置した
ものですが、同時に今の私にはそれが分らない。ただ人が居たであろう
痕跡を残すのみであります。
私純一は過去に自殺未遂をやった事があるのですが、
死の直前ともなると、色々と真実を自覚する事があります。
今、それを音楽との関連で思い出したのです。
小出しにしますが、参考になるでしょうから書いてみましょう。
純一は夜中フラフラと歩いていた訳ですが、
それは散歩では無かったのです。実はその時の純一は
死に場所を探してフラフラしていた訳です。
とりあえず、ロープを用意し、あとは括り付ける木や
鉄塔を選ぶだけでした。
既に身辺整理を済まし、後は死ぬだけとなっていました。
夜中といえども、人の全く居ない地に赴いたので、
そこには何も無いのです。木があるのみでございました。
しかし、そこでも無意味やビニール片や訳の分らないゴミ等は
散らばっていて、死に場所探しに集中させてくれないのです。
そして、散々探した結果、生き延びる事になるのですが、
これが実にくだらない事なのです。以上、自殺未遂の話でした。