言葉や思考は平面的だが、現実は立体的なものである。言葉が捉えるのはあるものごとの一面であり、全体ではない。三角錐のようなものを見るとき、言葉はその立体の投影である三角とか、円として捉えることしかできない。しかし立体的に見ればそれは三角錐であり、三角も円もその形の一面である。ところが言葉は一面ずつしか捉えられないので、三角と円が同時に成り立つ図形などないと思うし、理解できないのだ。それが平面的ということである。

 私たちの表現や思考は、その性質上、どうしても平面的なものになりがちで、それが様々な問題を生むことになる。自分の考えを他人に伝えようとするとき、言葉の制限はとても大きな壁となって立ちはだかる。しかも言葉の習熟度は人それぞれなので、同じ事を喋っても伝わる相手と伝わらない相手がいる。

 言葉は人間生活にとって必要な道具なのだが、それを本当に使いこなすには、言葉の性質を熟知していなければならない。一番ややこしいのは、言葉と心が見分けのつかないほど癒着していることだ。言葉なしでは心が活動できないほどに癒着している。というより、心のほとんどを言葉が占有しているような状態だ。

 心は言葉がなくても生きていられるはずだが、私たちはその可能性について全く思い及ばない。言葉がなければ心は不安定になり、破綻すると思っているようだ。けれどもそれは言葉と癒着しているが故に生まれる妄信である。人生の表面でしか生きられず、深みを知ることができないのは、その本質が平面的である言葉に溺れすぎているからではないだろうか。