一日の終わりを告げるレイ🐕との散歩の時、曇り空を打ち破るかのように夕陽が差し込んできた。
その時の目前に現れた景色(雪面のウネリ)は何故か、わたしの心を揺さぶる。
怒涛の忙しさから解放され、その忙しさのツケでもある右腕のダルさ(おそらく上腕骨外側上顆炎)を抱えつつも、脳裏では次なる風の存在を求めていた…矢先のことである。
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潮のうねりは風がもたらすが、雪面の場合はどうなのだろう!?
今回のは田んぼ、かつ寒暖差によって出来たものと想像したが、同時に海におけるうねりの光景も浮かぶ。
そんな思考をしているからか、昨年の12月半ばからは、髪にまでうねりが生じてきた。
(まとまりのない髪。寝グセでもないが、これでは角刈りにもできない😰)
故に、これまでは自分のトレードマークでもあった角刈り姿もついに諦めの域にきたような…!?(妹分の幼い娘は、拙者の呼称を角刈りの手話で表現しているそう。笑)
(11年前の旅の時。屋久島の散髪屋で「短めの角刈り」と伝えただけで、実に他の理容店での出来映え以上のスタイルに❗️この地では、ここまでの腕前をもった理容店に巡り合えない。)
話はそれたが、自らの脳裏にウネリを想像したということは、意識のはるか遠くで結構な風が吹いていた事を意味する。
そんな強い感情が巻き起こったのは、いつ以来だろう!?
だが…
やはり自分は不便なヤツ。
その台風が如し感情が起きても、時と共にそれを鎮めようとしてしまう。
それが、先の自分の心に生じたうねりである。
そういう意味では、自分は未熟。
自らの感情に素直になれたら、どれほど楽であろう。
その思いを隠すために、己が心身を削ってまでして、何かに没頭しようとしているのか!?
久々に、そんな疑念を抱いてしまった。
(自らが抱いた感情に対して)
「天に許されるなら、この竜巻に乗じて昇龍が如き、飛翔にトライしてみたい」と思う反面、「コイツを己が心に封印するとなると厄介だな」と…。
そんな時には、「偽」の漢字の構成のように人の為にではなく、(大きな括りで)自然界の為に守りたいから…と、自らの視点を変えてみる。
そうすることで、その感情の抑揚は、波のそれと同様、嵐が起きた場から遠のくほどに穏やかなものへと移り変わっていく。
その過程に一抹の寂しさはあれど、そこは「己が身の定め(運命)よ」と腹をくくりつつ…。
天を仰ぎ…
「だから、孤高にして大ふへん者なんだよな。」
ま、これまでは意識したことさえもない頭皮マッサージでもして、髪のうねりだけは解決策を見い出すとしようか!
◎
*近隣の亡きおばあちゃんの庭の手入れ。2年ぶりの作業だけに、先ずは竹の伐採(切った竹を竹垣に活用)から始める。
*庭木も2年放置した事で、至る所が雪折れ。これらを今年一年かけて綺麗にしていく。
*先のケヤキの太い枝木を始末。薪の量がとんでもない事になりそう。今後は農家民宿の敷地内に薪置き場を新たに作る予定。そんなこんなで、心や髪のウネリや腕のヒネリによる痛みに構っていられない田舎暮らしです💦





