今日のニュースを見たら



ノルウェイの森 ベネチア国際映画祭出品 とのこと。



原作の小説は、当時



100%の恋愛小説という触れ込みだったらしいです。



私も何年か前に読みました。



恋愛にかぎらず、人とのどうしようもない別れを体験してしまう主人公は



読んでいて、せつなくなってきますね。



映画は、ビートルズの音楽が使えるらしくよかったです。







丸善・丸の内店4Fのちょっと風変わりな本屋です。



http://www.matsumaru-hompo.jp/about.html



ブラブラと見て回るだけでも楽しいです。






この前、久々にプラネタリウムに行ってきました。



今までも何回か、別のプラネタリウムを観てきたのですが



どれも最新型の素晴らしい映像でした。



で、今回は下町にある某プラネタリウムだったのですが



いいですね~。おじさんの生解説つきでなんか癒されます。



途中、まったく関係ないペンギンの映像なんかもでちゃって



おじさん謝ってましたが、なんだかほほえましくてよかったです。



おじさんの解説によると3大流星群というのがあるそうです。



・しぶんぎ座流星群 1月頃



・ペルセウス座流星群 8月頃



・ふたご座流星群 12月頃



来月はペルセウス座流星群ですね。8月13日の明け方がお薦めらしいです。




梅雨ですね。


で、なんとなく思い出した映画「浮き雲」。


フィンランドの映画です。


監督はアキ・カウリスマキ。


1996年の作品です。(日本公開は1997年)


主人公はちょっと冴えない感じの中年の夫婦。夫ラウリ、妻イロナ。


それぞれまじめに働いてきた二人でしたが、突然、職を失ってしまいます。


二人は次の職を探しますが、年がいっている為、なかなか見つかりません。


せっかく仕事が見つかって、夫のラウリに運転手の仕事が決まっても、


健康診断でひっかかってダメになったり(免許取消)、妻のイロナが安食堂で


働き始めても、経営者の不正によって給料が支払われなかったり、とにかく


不運の連続に見舞われます。


一念発起して、レストラン経営を始めようと思いますが、銀行からお金を借りることが


できなくなっていた二人はギャンブルに手を出し、大損を食らいます。


そして、住んでいたアパートを引き払うことになります。




・・・そんな二人ですが、悲嘆な感情を表に出すこともなく、淡々と過ごしています。


カウリスマキ監督の描き方なのでしょう、二人は内情をあまり語りません。


でも、観ている側は二人のひとつひとつの出来事に一喜一憂します。


そして、小さな子供の写真を見つめるイロナ(多分亡くなって


いるのでしょう)や、二人が静かに寄り添う姿に、言葉では表していない


いろんな感情や物語に気付いていきます。




そして、二人はやっと協力者を得て、資金の目処もつき、レストランを始めます。


今までの出来事を思い出すと、観ている側も応援したい反面、すぐには喜ぶことが


できません。また何か、良からぬ事が起こるんじゃないかと勘ぐってしまいますが、


思いのほかレストランは順調に回りだします。


こんな奇跡のような状況に、喜ぶよりむしろ、戸惑っているような二人ですが


映画はこのままラストに向かいます。




二人は飼い犬を抱いて、レストランの外へ出ていきます。


そして、今までの緊張から解かれたように、空を見上げて一息つきます。


たくさんの不運を味わってきた二人には、今の幸運は不運が裏返っただけのような


ものなのかもしれません。またちょっと何かが作用すれば、その幸運もあっという間に


不運に裏返ってしまうかもしれません。


でも、幸運が永遠に続くものでないのなら、不運も永遠でないのかもしれません。


最後に空を見上げている二人からはそんな人生の希望を感じることができます。




映像は全体的に青いです。服も壁紙もテーブルクロスも青いです。


たまに赤やオレンジなどの原色がポイントであって、画面が一枚の絵のように素敵です。


エドワード・ホッパーのような。


静かで、絵のような画面を観ているだけで癒されます。









フィデル・カストロ氏のことですね。



映画のタイトルが「ぜんぶ、フィデルのせい」です。



でも、主人公はいつの時代にもいるような9歳の女の子、アンナ。



そんなアンナの目線から語られる物語です。



観たのは2年程前なので、うろ覚えな部分もありますが、パンフレットを見つつ、



思い出しながら、触れていきたいと思います。



(ちなみに以下のレビュー、あらすじはおおざっぱ、結末も書いてありますのでご了承を・・・)






タイトルから想像されるように、時代はいろんな思想が飛び交っていた70年代。



そんな中、アンナ流に言う「キョーサン主義」に両親はのめり込みます。



そして、両親の意思により、上流階級の生活を捨て、小さなアパートに



住むようになります。



今までとは極端に違う生活に、アンナは戸惑いと苛立ちを感じます。



そりゃ、そうですよね。アンナにはさっぱり分からない、主義だか、思想だかのせいで、


食べ物も洋服も、質素になってしまうのですから。



9歳のアンナの世界は、学校や家庭がほとんど全てだと思います。



それを大人の都合で変えられるのは、大人が思っている以上に子供にとっては、



負担を強いられることになるのでしょう。



子供時代ってほんと、「大人は判ってくれない」ですよね・・・。



でも、そんな生活の中でアンナは、いろんな考えがあることを少しずつ学んでいきます。



そして、アンナなりに自分のおかれている立場を考えてみたりするのです。






― そして最後のシーン。






支持していた政権がクーデターにより崩壊し、茫然とする両親。



一方アンナは、新しく通うことになった学校に向かい、同級生の輪に自然と加わっていきます。



そんなアンナの姿には、今までにはなかった、意志のようなものが感じられます。



激動していく世界に対し、自分の小さな世界を大切にする、9歳のアンナなり結論?のような



ものでしょうか。






といってもこの映画、全体的にはなかなか洒落もきいていて、コミカルな雰囲気もあります。



政治や歴史はどうもね・・・という方(私です)でも、アンナ目線で観ると、楽しめるかと



思います。