三日坊主という言葉は生きていく中で最も潜在的に理解しやすい言葉であろう。この言葉に対して体感に体感を共感に共感を覚えながら人体の骨は成長を続け、心は余裕を持ちながら過ぎゆく日常に対して何の感想も持たずに見送りを続ける。この日記自体、「日が落ちてから考え始めればいいか」と怠慢に怠慢を重ね現在時刻は23時を少し過ぎてしまい、峠落ちしてしまう寸前であった。
さて、まぁ今日は何をした訳でもなく特筆すべき点を藁にも縋る思いで脳髄より捻り出すと英語の模擬試験を受験したことと近所のあまり美味しくないラーメンを食べに行ったことであろう。まず初めに持論が混ざるわけでもない前者の話を書き連ねると、筆者が秋期間に履修している経済英語なる現地人紛いの人間が英弱の猿真似をしながら楽単を自己肯定感を同時に拾いに来るバカカスアホしょーもな講義があるのだが、受講者の英語レベルを推し量る民間の英語試験にてIELTS5.5〜6.0相当(英検にして準一級〜一級)のスコアが未だに出せたのである。もし自分がどこかの国立公園の絶滅危惧生物で行ったらワシントン条約にも悠々触れるぐらいの拷問を錯覚させた勉強を経て、体に染み込ませた英語たちは口を始めとするあらゆる部位より自己主張を続けてくれていたのである。これには筆者も麗しい愉悦の表情であった。
前者という文字が存在するからして相対的に「後者は」という枕詞が広辞苑に掲載されていることを信じて、本日の昼は家の近所に新しく開店した拉麺を食べに行った。我が寵愛に預かりたる箱根そばを潰し、愛執の屍の上に旗挙した店であり、御礼参り感覚で入店。もう不味い。店内で滲み出る。昨今ラーメン評論家なる人物が一括りに批判されるが、自分がこのラーメン屋に対する評価は「これなら日高屋でええやん」というものであった。これ以上の悪口が思い浮かばない。今から意気揚々とラーメン屋を開店しようとする人間にこの言葉をかけることは憚れると思うが、実際に思ってしまったので申し訳ない。確かに昼休みの社会人をターゲットにしているのであろうか、•広い店内•食券制にて人件費削減•味に拘らず回転率の高い厨房。マーケティング戦略としは満点に近かった。だからこそ自分のように髪の毛を毟りながら部屋で歯の施術動画鑑賞にて歯学部の単位を取得しようとしているような在宅ニート大学生は元々店側の眼中には入ってなかった。しかし、不味いものを食わされることに嫌悪感は抱かない。大前提、世の中に意味のない行動や動機は一つも存在しないと考えている。娯楽作品なら消費者が喜び踊り狂い、酒池肉林に湧くシュチュエーションであるタイトル回収になるが絶品グルメという表現の裏側には当然として絶不味すぎグルメが存在するのである。絶不味すぎグルメの存在は絶品グルメをまた一段階と上の世界へ昇華させるものであり、近代になって婉曲された近い言葉(完全一致ではないが)は「口直し」である。極論にはなるが道端のうんこ食いまくってたら口にする一般的な食べ物に分類されるものは全て美味しく感じる極々普通の幸せ術である。