前回の続きです。





(エブリスタより)

 大伯父(祖父の兄)が外国人登録を「朝鮮」のままにする事、つまり「名目上『朝鮮籍』を選んだ」事により、当時はかなり揉めたそうである。

 「『なんで故郷が韓国(側)なのに『朝鮮』にするんかっ!!』って言いながら、じいちゃん凄い怒っとった」…と、祖母は言っていた。その後暫くは絶縁に近い状態だったそうだ。



 何故に大伯父が朝鮮籍を選択したのかは、実際のところよく解らない。祖母はそれ以上の事は語らなかったし、私の父に至っては露骨に大伯父を嫌っており、話すのも嫌という感じだった。

 また、大叔父(祖父の弟)も初めは朝鮮籍を選択していたようだが、大伯父とは考え方は違っていたらしい。

 実際に父は大伯父(兄)とは疎遠だったが、大叔父(弟)側の親族とは仲が良く、付き合いがあった。
 ただ大叔父は若くして亡くなった為、その後に韓国籍に変わったかどうかは定かでない。



 とはいえ、祖父達が国籍選択で物別れした頃は、朝鮮が共産主義とは名ばかりの独裁国家「北朝鮮」だとは、まだ誰も知らない時分である。
 大伯父が共産主義に憧れたのか、「朝鮮」という呼称にこだわったのか、今となっては知る由もないが、流石に「独裁国家マンセー」ではなかろう。

 ともあれ、血の繋がった兄弟同士で国籍が異なるという、ある種の「異常事態」となってしまった結果、私や家族は韓国籍だが一部の親族が朝鮮籍という形になっていた。






また、私の親族には別のパターンで「朝鮮籍」となった者もいる。「韓国籍」と「朝鮮籍」の者が結婚した場合だ。

 韓国籍である伯母が朝鮮籍の男性の元に嫁ぎ、従兄弟は父親の意向もあり朝鮮籍を選択する事となった。結果、私には血の繋がった「朝鮮籍の従兄弟」が存在する。

 では、この従兄弟が私等と「互いに敵国」だといがみ合ったりするかと言えば、そんな事は何も無い。

 別に「将軍様マンセー」などとも言ってこなければ、韓国批判を私等の前で繰り広げるなどという事もない。「朝鮮民族なら朝鮮学校に通うべき」などと主張もしない。いたって普通に親戚付き合いをしている。


(写真は民団新聞より)



 また私の実家の隣も「在日」で、その家は「朝鮮籍」であった。その家は何年か後に家族単位で「韓国籍」に変わったが、それにより付き合いが変化する訳でもなかった。

 朝鮮籍から韓国籍への切り替えも、人によってタイミングが異なるだけであり、そこに違和感など無かった。

 また、朝鮮籍だから必ずしも朝鮮学校に通う訳でもなく、韓国籍でも朝鮮学校に通う子は当たり前の様にいたし、民団と朝鮮銀行(もしかしたら総連)が合同で催し物をする事も、謂わば「普通」の事だった。



 こういう「在日」の、人付き合いでの私等の感覚は如何ようなものか。

 前述の「朝鮮籍のクラスメイト」またそうであるが、「祖父母の代に渡って来た者どうし」、「朝鮮民族どうし」、「在日どうし」…という感覚でしかない。従兄弟・再従兄弟の場合はこれに「親戚どうし」が加わる。

 その感覚を纏めれば「同じ在日」の一言に尽きる。



 これは「国という垣根を超えて」…などという感覚ではない。

 そしてそれは結局のところ


 在日コリアンと呼ばれる(或いは自ら呼称する)者達の、それぞれの選択の結果なのである。

 これは日本で生まれ育った故の感覚かもしれない。実際、私等がもし韓国で生まれ育った場合、同じ感覚になっていただろうとは正直思えない。
 そういう意味では、「在日特有の感覚」と思うべきなのかもしれない。