(エブリスタより)

 小学生の頃、民団(在日本大韓民国民団)主催での催し物があり、何度か参加したことがある。

 催し物は地域での運動会や大勢で行くツアー形式の旅行、韓国へのホームステイなどである。

 今現在、韓国籍の特別永住者は30万人を切るまでに減り、朝鮮籍に至っては3万人を切っているが、私が小学生だった頃は韓国籍・朝鮮籍併せ60万人以上もの人がいた。

 また、私の地元は在日の多い地域の1つであり、開催しやすかったのではないかと思う。



(写真は民団新聞より)


 運動会は親子で参加する形、旅行は林間学校の様な小中学生を大人が引率する形だった。

 引率は民団関係者や朝鮮学校・朝鮮銀行の職員等、20〜30代の若い大人(多分青年部の人達)が担っていたと記憶している。

 そこには朝鮮籍の子や朝鮮学校の生徒もおり、韓国籍と朝鮮籍の在日が入り混じっている状態。

 朝鮮学校に通う子達は、日本語も韓国語(朝鮮語)もネイティブに話せる子が当たり前の様にいて、大人と韓国語で話す子達を見て驚いたものだった。

 奇妙に思う人もいるかもしれないが、朝鮮学校に通う韓国籍の子がいたり、民団と朝銀(総連だったかもしれないが)が「合同で何か主催する」というのは、当時は何も特別な事ではなく「普通」の事だった。

 これらは「国は違うけどお互いに交流を」…という感覚ではない。単純に「在日同士」で集まってるだけのことだ。わざわざ「交流を企画」する程離れた存在ではなかったのだ。






私は日本の学校に通っていたが、私の家族以外にも韓国籍の生徒はおり、私の同級生に至っては朝鮮籍だった。(以前に登場した中国籍の子とはまた別の人)

 知ったとて、お互いに韓国籍だ朝鮮籍だと身構える事も無い。


 「◯◯って韓国人なん?俺朝鮮やけど」
 
 「えっ、そうなん?△△、朝鮮人やったん?(⁠‘⁠◉⁠⌓⁠◉⁠’⁠)」

 「まあ、親が朝鮮やからね」
 
 「ウチは両方韓国やね(⁠ ⁠・⁠ω⁠・⁠)⁠⁠」

 「ああ、やっぱそうなんや。つか、親から聞いてなかったん?」

  「いや〜ゴメン、知らんかった(⁠⸝⁠⸝⁠´⁠꒳⁠`⁠⸝⁠⁠⸝⁠)⁠」


 …と、そんな程度の普通の会話で終わる。その後何かが変わる訳でもなく、意識するでもなく。単に「お互い在日だった」、それだけである。
(そもそも幼い頃や小学生の頃から、己の国籍を強烈に意識してた人など、ザラにいるとは正直思えないが)


 同じ(公立の)小中学校であれば、親同士が同じ民団の支部に名前を連ねていたり、近くに住んでいる者同士で付き合いがあったりで、親同士が既知の仲であることは多かった。

 子供等は最初はお互い気付いておらず、親から聞いたり民団の催し物で出くわしたりして「知る」。

 こういった「事」は特別永住者としては「あるある」といったところだと思う。

 在日の数自体が少ない地域だと「自分の家族以外の在日に会った事が無い」という人もいたりと、地域によっての違いはあるだろう。



 また、日本の学校に通う子達と、朝鮮学校のような民族学校に通う子達とでも違いはあるだろうとは思う。だがとりあえず私の場合はそうだった。

 そして韓国籍・朝鮮籍どちらであろうと「互いに違う国の人間」とはならず、「お互い『同じ在日』」という感覚で接する。

 では何故そのような感覚であるのか。そこに至る私なりの考察を次回より述べていきたいと思う。