大学4年となった時のこと。配属された研究室には中国人留学生の先輩(大学院生)がいた。(ここではその留学生の先輩を「Oさん」と呼称する。)

Oさんは中国にて高校を卒業後、単身日本に渡った。働きながら日本語を勉強、受験を経て大学入学。大学入学後も5年間、働き続けながら学業を両立させるという、私にとってはそれだけで「立派な人」だった。

更に人格者であり親しみやすく、(私を含めて)新しく研究室に入った学生とも、気さくに話す人だった。


そういう人であるから、私は「出来ればこの1年間、この先輩とは仲良くしておきたい」とは思ったものの、それに対してどうしても拭えない懸念があった。

それはOさんが「日本の戦争をどう思っているか」、である。



小林よしのりの著書「ゴーマニズム宣言」を読んだ事をきっかけに、「無自覚な反日」から脱してしまっていた私にとって、日本の戦争は「悪」とは断罪出来ないものとなっていた。

もし「日本の戦争」について意見を聞かれたら、私はその気持ちを偽る事は到底出来ない。もしもOさんにその話題を振られた場合どうなるか。日本人に聞かれるのとは意味合いが違う。最悪、1年間仲違いだ。

また、私が「在日韓国人」であることは、大学内では隠していなかった。(いちいちアピールもしてはいないが。)故に同級生は勿論、教授や事務方の人も知ってる人は知っている。研究室に配属される際にもあらためて伝えていた為、当然ながらOさんもそれを知っている訳だ。

果たしてOさんはそれを含めてどう思っているか。私という在日韓国人をどう見立て、予想しているか。非常に気になるところだった。

互いに「外国人」であるからか、Oさんと私は研究室の他の学生よりも話す機会が多かった。その間、お互いの口から日本の戦争についての話題は出ないものの、私の中で「懸念」は燻ぶっていた。





研究室に配属されて2ヶ月弱経った頃。偶然私はOさんと二人きりになった。そこで私は意を決して質問した。

私「Oさんは『日本の戦争』についてはどう思ってらっしゃるんですか…?」

そのド直球の質問に、Oさんの顔がこわばる。Oさんは私から一旦顔を背け、真剣な表情で考え始めた。その顔を見て、私は「最悪」の方を予想した。

そして私に向き直り、Oさんはやや強い口調でこう言った。

「日本は朝鮮や満州を獲ったけど、『あの時の日本』はそうするしかなかった! あの時代はそうしないと日本は(西洋列強の)植民地にされる。生き残る為には仕方なかったと思う。 戦争が良いわけじゃないけど、『日本が悪い』とは言えないと僕は思う!」



Oさんの「意見」を聞き、私は一瞬驚いた。そしてすぐにこう返した。

私「おぉ!本当ですか!? いや、実は自分も同じ意見です!」

Oさんは一気に驚いた表情となり、やや興奮気味に話し出した。

Oさん「えぇ!? 本当!? ◯君も同じ? 本当に?」

私「はい、同じです! 生き残るには他にどうしようもなかったと思います。単純に『日本が悪い』とは言えないと思います!」

Oさん「あぁ、そうなのか! いや、良かった! 違ったらどうしようと思った!」

私「自分も正直、そう思いました! めっちゃ緊張しました!!」

Oさん「俺も緊張した! 聞かれた時、どうしようと思った! めちゃくちゃ緊張した!!」



無理もない。在日韓国人の私がわざわざ「日本の戦争をどう思うか」などという話をしてくるのだ。まさか自分と同じ意見だとは思わなかったろう。私が韓国人であることを考えれば、「『日本が悪い』という答えを期待している」と想像してもおかしくない。

だがOさんは、自分の意見を曲げずに言った。顔がこわばっていたのは、緊張と覚悟の現れだったろうか。



その後はお互い安堵して、ゲラゲラ笑った。

私「いやぁ、良かったです! 同じで本当に良かったです!」

Oさん「うん、良かった! 本当に良かったァ!!」




こんな話をしても、クソサヨクもネトウヨも信じまい。

だがこれは、私の大学時代の嘘のような本当の話である。