ごきげんよう♪
ありしか サンのブログから6つめの転載です。
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2022-04-02 23:25:00
【②】〖レジメ〗
🙆六大煩悩と十根本煩悩について
①貪(とん)➡️ この世のすべてのものに執着して、苦しみを生むという働き。人間の果てしない執着。
②瞋(しん)➡️ 自分の気に入らぬものに対する怒り。気に入らぬもの「苦と苦具とを憎恚(ぞうい)して、不安と悪行との拠り所となる」
③癡(ち)➡️ 道理と事実とに対して、迷い闇であり、一切の煩悩の拠り所となる。つまり、無常、苦、無我、空、因果の道理という真実を理解納得できないこころの働き。
④慢(まん)➡️ 慢心、高慢なこころで、何とかして己れをたのんで、他と比べて自分を上位に置こうとする。「己れを恃(たの)んで他において高挙して、苦しみを生む」こころの働き。
⑤疑(ぎ)➡️ 真理を疑うこころ「諸々の諦と理とにおいて猶予する」こころの働き。「諦」とは四聖諦の教え。「理」とは真理、即ち因果の道理、縁起、空の真理に対して疑心を持つこと。
⑥悪見➡️ 自我意識に基づいたものの見方である。真理を理解しない自我中心の見方。
「諸々の諦と理において、顛倒推度する染の慧」
真実は無常、苦、無我、空、因果の道理であるのに、自我意識を離れないので「顛倒推度」
つまり、物事を逆さまに見て、逆さまに感受して、逆さまに考える。
【悪見を五つに開いたのが以下の煩悩】
⑥我見(がけん)➡️ 薩迦耶見(さつがや)とも言う。
不変常住の自我と、自我の所有物への愛着を軸にした見方。そこを軸にするから、感じ方も、見方も、行動の仕方も狂ってくる。
『成唯識論』「第九」の煩悩を説明するところでは、
「薩迦耶見(さつがや)を上首する百二十八の根本煩悩」とあり、
この我見が、情意的な迷妄の根源となることを示す。
🔘我と自分の所有物に対する執着
⑦辺見(へんけん)➡️ 有無の見。常見と断見の見方
⑧邪見(じゃけん)➡️ 因果の道理を誹謗する
⑨見取見(けんしゅけん)➡️ 仏教以外の見方や考え方を真実と思い、それに執着する見方をいう。「一切の闘争の拠り所となる」
自分の主義、主張を反省することなく、絶対化するところから、生まれるのは争いだけである。
⑩戒禁取見(かいこんしゅけん)➡️ しきたりや迷信にこだわる。間違った戒律とそれに従った生き方を正当と思い、それによって解脱に至れると執着する悪見をいう。そこには何のプラスにものらない「無利の勤苦」があるだけ。
「疑後三見(ぎご:さんけん)
唯分別起(ゆい:ふんべつき)、
六通倶生(ろくつう:くしょう)
及分別起(きゅう:ふんべつき)」 【成唯識論〖六巻〗】
【成唯識論での定義】
🌀貪 ➡️ 有と有具とのうえに染著するを性となし、苦を生ずる
を業となす
🌀瞋 ➡️ 苦と苦具とのうえに憎恚するを性となし、不安と悪行との所依たるを業となす
🌀癡 ➡️ 諸の諦理とのうえに迷闇なるを性となし、一切の雑染が所依たるを業となす
🌀慢 ➡️ 己れをたのんで他のうえに高挙するを性となし、苦を生ずるを業となす
🌀疑 ➡️ 諸の諦理のうえに猶予するを性となし、不疑の善品をさえぎるを業となす
🌀悪見 ➡️ 諸の諦理のうえに顛倒するを性となし、苦を招くを業となす
🌀我見 ➡️ 五取蘊のうえに我、我所と執する。一切の見趣が所依たるを業となす
🌀辺見 ➡️ 五取蘊のうえに断と常を執する。中道(道諦)と出離(滅諦)とをさえぎるを業となす
🌀邪見 ➡️ 因果と作用と実事とを謗する
🌀見取見 ➡️ 諸見のうえに執して最勝なりとなして清浄を得る。一切の闘争の所依たるを業となす
🌀戒禁取見 ➡️ 諸見の戒禁のうえに執して最勝なりとなして清浄を得る。無利の勤苦が所依となして業となす
〖終了〗
https://m.youtube.com/watch?v=Z7xM3Y9SeMA&feature=youtu.be

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