
銀塩は無くなるとか無くならないとか、人によって説が分かれますが、僕は「今が最後かもしれない」という理由から始めたクチです。描写において135mmはデジイチに既に敵わないと判断し中判を選んだわけですが、解像感だけで言えば2000万画素クラスと中判はどっこいどっこいな印象(アマのスキャン環境では)。というか135mmと中判の違いは目的の違いであることに気付きました。
ただし、この表題にある不均質性という点においては、デジタルの均質な画にはない良さを見出すことができました。いや、銀塩写真を観察するようになったからこそ気付いたと言うべきで、デジタルしか観ようとしない環境が続けば、このまま気付くこともなかったでしょう。ノスタルジーや現実肯定が含まれていることは否定できないものの、それらとは違う何かがあることには確信があって、今後それを理解していければと考えています。まあデジタルといえども数百万円クラスの中判デジタルであれば、圧倒的な解像力で均質性を突き抜けてしまうような別の何かを感じますけど。
それから巷に溢れるイメージについても均質性を感じています。オリジナリティという概念にはちょっと懐疑的だけど、じっくり考えてみたいテーマです。