15年程前、限定解除のために3ヶ月間プーをしながら通い詰めた。ちなみに当時教習所での大型二輪教習は存在しなかったので、ここで「一発試験」に挑戦するしかなかった。その難易度は受験十数回でやっと合格するといったレベルのもので、まるで「大型二輪は世の中に不必要だ」と言わんばかりの制度だった。それ故、バイク乗りにとって「限定解除」は特別な意味をもった言葉だった。

ただ実のところ、「受験十数回でやっと合格」というのは、練習もせずにいきなり検定に臨むライダーが多かったからで、普通に練習して臨めば、多くの人が数回で合格できたはずだ。実際ボクですら、長い長い練習の後ではあるが3回で合格している。


センター内の練習場、またセンターに隣接した民間練習場があり、センター内の練習場で練習したこともあった。その初回受講後、教官に「午後の検定受けてこい」と言われ、素直に受けてみるもののコース1/3程度であえなく検定中止。当たり前といえば当たり前だが、うなだれているボクに、教官が「どんなもんかわかったやろ?」とニヤニヤしながら声をかけてきたのを今でも覚えている。

その時は心が折れたボクだったが、しばらくおいてセンターの近隣にある民間練習場に通うようになった。覚えも悪かったので、今の大型二輪教習にかかる費用の2、3倍くらいは最終的に飛んでいった記憶がある。今はほとんど見ることないFZX750やGSX750E(通称「ベコ」)が当時の練習/検定車。合格した時の車体は確かベコだった。そしてその練習場も今は無くなり駐車場になっている。


合格した日、喜んで向かった先がある。それがカスノモーターサイクルだった。もちろんドゥカティ京都はまだ存在しない。20代のガキにとっては敷居の高いお店だったので、せめて限定解除してから行ってみようと前々から考えていたのだ。そしてその時出会ったのが750F1の限定版ラグナセカの中古車。確か70万円台だったと思う。もう一目惚れで、それから数カ月は寝ても覚めてもそのことしか考えられず、書籍を漁ってみたり、パソコン通信時代のNiftyフォーラムで質問しまくったりしたものだ。しかしながら、プーを卒業し今の仕事の丁稚奉公へと通い始めた僕には、そんな余裕などあるはずも無かった。結局憬れのDucatiを手にするのは、その10年度になってしまう。