来るべき理想世界について考えてみたいと思う。

来るべき理想世界の姿は、共生共栄共義主義社会であると原理講論に書いてあるが、それは一体どういう社会なのだろうか?


今日は、そのうちの「共生」について考えてみたいと思う。


「共生」とは読んで字の如く「共に生きる」という意味である

先日、TV番組「プロフェッショナル~仕事の流儀~」で、スガシカオがまさに「共生」をテーマに曲を作っていた。そういう時代なんだなって思った。

歌詞の中には、「誰かのための自分になる」っていうフレーズがあって、
心にズシン、と来た。

番組の中でスガシカオも言っていたが、
「共生」というと、

「俺たちはひとりじゃない」

とか、

「みんなで助け合って生きていこう」

みたいな感じのメッセージになるけど、それじゃ心に響かない。
間違ってるわけじゃないし、正しいメッセージなんだけど、響かない。

真の共生はもっと心の奥深くから来る普遍的な価値観と合致して心に響く。

それが、「誰かのための自分になる」だ。





「誰かのための自分」である

昨日の記事でも書いたが、支えるとは何か、と考えた時に、まさに「共生」を思い描く。

http://ameblo.jp/rev-yo-suke/entry-12091274045.html

パターン1の場合だと、本当にその人のためになるかどうか、怪しい。
毒になるパターンというのは、動機が自分のためになっている場合なんかだと思う。

共生は、共に生きる事。

共に生きる人は、自立した人であり、自立していなければ、「共生」ではなく「依存」になる

やはり、意見を言っていくこと、意見を受け入れられること、そういう関係性を創っていくことが「共生」には非常に重要ではないか、と思う。


ロックを神の側に取り戻す

音楽の話題も絡めたので、余談を少し。
ロックはやっぱり良いな、という話。
自分は音楽の中でも、やはりロックがとても好きだ。

ロックは純粋だし、ピュアだから好き。ストレートで悩ましくて、でも希望を放つから好き。
時に、社会への反発とか、理不尽とか、矛盾とかに対してストレートに訴えかけるものは、沢山の人たちの心に届いたりもする。

当然、「破壊」とか「退廃」とか「虚無」みたいのを歌う希望のないものも世の中には沢山あるから、そういうのは今はもう全然響かないけど、希望的なメッセージを持った歌や、正直な等身大の姿を歌うロックは今でも好きだ。

でも、これからは一段階別次元の音楽が出てきて欲しいと思う。
「共生」、「為に生きる」新しい価値観を持った音楽が沢山出て来て、世の中の利己主義や個人主義の価値観をぶっ壊していって欲しい。

愛を歌い、希望を示し、多くの若者に勇気を与えていく、そんな食口バンドなんかも沢山出てきて欲しいな、と思うのである。

この辺もまた機会があれば記事にしたくなってきた。


「共生」のためにはまず自立が必要

話が脱線したので元に戻そう。

自立は重要プロセスだけど、ゴールではない

自立を夢見る場合、ゴールは想像してたよりもっとずっと先にあって、たどり着いたつもりが、まだまだ先が長くて、倒れそうになってしまう場合がある。

しかし、その先にある「共生」はきっともっと素晴らしい世界だと確信する。
そして、その素晴らしい世界である「共生」のためも、自立はあくまでも通過点である事に気付く。

「共生」にたどり着くためには高度な「自立」が必要だ。
自立の度合いが低ければ、当然、共生のレベルも低いものとならざるを得ない。

まずは自立。
しかし、自立したからと言って終わりではなく、共生を目的として、「誰かのために生きる自分」となる。

そして、自立のレベルをさらに上げる努力を続けていけば、共生のレベルももっと高い次元で達成出来るようになっていくはずだ。

努力は決して裏切らない。

最近自分に言い聞かせている言葉だ。

よりよい世界を見てみたい、だから頑張ろうと思う。




頑張ろう!と思った人、クリック!

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 統一教会へ

にほんブログ村