日本軍「慰安婦」制度は事実上の性奴隷制度であった。
というのが結論ですが、臭いものに蓋をしたい方々が撒き散らしているデマについては、面倒でもひとつひとつ整理していく必要があるようです。

それが日本人の責任、これからの時代を生きていくうえでの責任なのかもしれませんね。


さて、「慰安婦の暮らし向きは良かった」というデマがあります。

出所のひとつに、

日本人捕虜尋問報告 第49号 1944年10月1日
http://a777.ath.cx/ComfortWomen/proof_jp.html

があります。

そこに「彼女たちの暮らし向きはよかった。」という記述があるわけですが、
資料を作ったのは、【アメリカ戦時情報局心理作戦班】です。

それを見て、「アメリカ軍の調査による客観的な事実である」かのように、乱暴な史料の用い方をして、自分達に都合の良いように解釈しているわけですが、史料の信憑性はそれを見る観点の違いによって、史料が持つ意味と重要性は変わってしまいます。史料はいずれも、他の史料と比較し、その当時の社会状況などを勘案して、史料としての価値、信憑性を判断する、史料批判という手続が必要である(※1)、というのが歴史学者にとっては当然のことですが、日本の戦争犯罪を否定したいという観点においては、史料を見る上での最低限のモラルさえも放棄されてしまっているというわけです。

この史料(※2)には他に以下のような記述があります。

「多くの「楼主」は、食料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った。」

「暮らし向きはよかった。」「生活困窮に陥った。」

では、明らかに矛盾していますが、この史料は、それ自体に矛盾した記述を含んでいると同時に、他の多くの史料、証言とも食い違いが指摘されています。

さらには、

「このような偽りの説明を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、…」

とも、書かれてあります。

「偽りの説明」

つまり騙されて連れて行かれたという事です。

右派論壇ではこの部分は無視しています。

読んでいないのか、読んでて敢えて無視しているのか、それは不明ですが…。



(※3)

最後に、この資料を作った【アメリカ戦時情報局心理作戦班】についてですが、
この部署は、日本兵に降伏と投降を薦めるための宣伝ビラをばらまく事を業務としていた部隊です。そのビラの作成には、日本語ができる日系人がいました。ゆえにこの史料は、20名の朝鮮人慰安婦とは、片言の日本語で事情を聴取しながら、主に2人の日本人経営者である北村夫妻から話を聴取したものと見られています。
経営者は、軍属または軍属待遇だったので、戦争協力者として米軍によって処罰される恐れがありました。
そこで彼らは尋問の際、自分に不利な事を言わず、できるだけ慰安婦たちが「自由意思」であったかのように偽って話したであろう事が予測されます。


書いてあることは書いてないことにして、反対に書いてもいない事を書いているかのように広められているのが歴史修正主義者の歴史観です。

都合の良い所だけを見て、無責任に撒き散らされているデマには要注意です。



<参考>
※1 戦争史料の見方、扱い方「図書館雑誌」1999年8月 林博史

※2 日本人捕虜尋問報告 第49号 1944年10月1日

※3 臭いものに蓋 イメージ画像

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