return-of-cd125tのブログ

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まだ若ければいいのだろうが、50歳を過ぎての人生の挫折はきつい。それ以降の人生というのは、心から笑うこともない、ただ淡々としたものだった。元来、鈍い方なので、そんなことに今頃気付く。いやいや、まだこれから先、どこかに新しい希望の光のようなものがあるという幻想を抱いていた。

 

 若いころはハウツー本なんか読んで、いくらでも続く未来を信じる、まるっきりの極楽トンボだったのだ。とてつもない知能指数の低さがが幸いしたのか、ぼやぼやと、まだ生かされている。

 

こんな自分史を大東亜戦争に例えるのもどうかと思うが、戦後の日本と私の人生を重ね合わせてみる。

 

別に日本の歴史皇紀2600年もの歴史を生きてきたわけでもなく、たった71年の短い人生を過ごしてきただけだが、それでも祖父母の時代と合わせると150年くらい、その時代の空気を共有してきたところがある。

 

 大東亜戦争後の日本人というのが、戦前戦後を完全に断絶した時代として生きてゆけることが不思議に思う。そこに、挫折感なんてものはないのだろうか?敗戦か終戦かは知らないが、反省!としつけられた見世物猿がお辞儀するに似た日本人には、東京裁判を強制された悔しさというものはない。そんなことから再出発したものを平和と信じているのも、なおさら始末に負えない。

 

こんな日本を見ていると、世界第二位の経済大国、あるいは世界有数の技術大国と聞くのも空しいだけだ。

 

おそらくこれが、私が子供のころから漠然と感じていた空虚の正体なのかもしれない。

 

私が誕生する5年前に極東軍事裁判は結審され、一方的に日本は戦犯侵略国家と規定されていた。