●身体記憶が癒える時

 

いつもありがとうございます。

 

須藤いづみです。

 

 

突然ですが

 

身体記憶

 

という言葉を聞いたことがありますか?

 

 

これは

 

脳だけでなく、身体にも過去の記憶や感情が宿る

 

という考え方です。

 

 

例えば

 

怒りや不安、悲しみなどの

ネガティブ(に分類されることが多い)

な感情が

コリやハリとして身体に留まり

精神にも影響を与える

 

ので

 

コリやハリを解消することによって

身体に留まっていた

ネガティブな感情が解消され

精神的にもスッキリする

 

そうです。

 

 

と、前置きはこのくらいにして(笑)

 

 

先日、あるオンライン上の集まりで

不安や恐れの対処について

お話を伺った後に

グループに分かれてシェアタイムがあり

そこでパピーの話をしました。

 

あっ、パピーはペットではありません。

 

今から9年前に末期がんで亡くなった

私の父の愛称です(笑)

 

 

パピーは2011年の夏に病気が分かってから

自宅から当時の我が家に引っ越し

治療を開始しました。

 

実家は階段のない5階建ての団地の4階。

 

登り降りが難しくなることを考え

マンション(エレベーターあり)住まいの

我が家に来てもらうことにしたのです。

 

 

その頃は

パピーのために「良かれ」と思って

色々な代替医療を試みました。

 

大好きなお酒はもちろん

肉や魚も厳禁。

 

玄米菜食を始め、「良い」と言われることは

何でも取り入れました。

 

パピーは

 

「お姉ちゃん(私のことです)が言うのなら」

 

と、治療方針についても任せてくれました。

 

 

けれども、残念ながら翌年の春

緩和ケア病棟で私たち家族に見守られながら

肉体を離れました。

 

※パピーのことは

 ブログの「パピーと一緒♪」に書いてます。

 

 

その時のことを思い出しながら

 

治療の為に

私のところへ引っ越してきたけれど

本当は最期まで

住み慣れた我が家で

過ごしたかったのではないか

 

代替療法の為に

厳しい食事制限をしたけれど

本当は好きなものを好きなだけ

食べたかったのではないか

 

 

それもこれも、全ては

「私が後悔しないように」

任せてくれたのではないか

 

何故なら

私が二十歳になる年に亡くなった母のことで

とても後悔しているのを知っていたから。

 

 

そんな話や

 

 

治療に一生懸命だった時の私は

パピーの病気のことばかりに気を取られて

パピーそのものを

見ていなかったのではないか

 

 

何よりも

誰よりも

パピーを失うことが怖かった

 

パピーがいなくなるのが

話たり触れたりすることが

できなくなってしまうことを思うと

この上なく寂しかった

 

 

「病人の前で泣いてはいけない」

 

と言われていたので

パピーの前では

ずっと冷静に振る舞っていたけれど

本当は

いつも不安でいっぱいだった

 

緩和ケア病棟で

主治医の先生から

 

「もう点滴が入りません。

あとはご本人次第です。

(最期を迎える心つもりをして下さい)」

 

と言われた夜

 

思わずパピーに

 

「パピーと会えなくなると思うと寂しいよ」

 

と、泣いてすがったこと。

 

 

パピーはそんな私をヨシヨシしながら

 

「お姉ちゃんの

本当の気持ちが聴けて良かった」

 

と言ってくれたこと。

 

 

そんなことを思い出しながら

シェアさせていただきました。

 

ここまで

言葉にして話したのは

初めてだったかもしれません。

 

あれから

10年近い月日が経ったこともあってか

当時を思い出して

感情が揺れ動いたというよりも

「懐かしい思い出」として

お話ししたように感じます。

 

 

実はその夜から

不思議と首の可動域が広がって

前後左右によく曲がるようになったのです。

 

前後の違いを

お見せできないのが残念なくらいです(笑)

 

もしかしたら

お話ししたことで

肩や首の緊張が解けたのかもしれません。

 

 

もしそうだとしたら

 

身体記憶は確かにあって

その解決方法として

 

コリやハリの解消のほかに

「話す」もアリなのではないか

 

そんなことを感じました。

 

 

話す=放す

言える=癒える

 

を実感した出来事でした。

 

 

パピーありがとう^^