お盆にお墓参りした時のお話です。
実家のある市内の市営霊園に母のお墓があります。
お盆時期にお参りするのは数年ぶりです。
娘と一緒に霊園の最寄り駅で父と待ち合わせ、そこからバスで移動。
いつもの倍の時間をかけて(お盆時期なので道も混んでます。)ようやく到着。
と、ここまでは前振りで。
本題はここからです。
お墓のある霊園は敷地面積の3分の2が緑地やサイクリングロードなどレクリエーションスペースになっているせいか、とても開放感があります。
墓地だけで33,000区画あるとか。
ブロックごとに分かれており母のお墓があるブロックにしか行ったことがないので、そのエリア限定かもしれませんが、そこで感じたことを少々。
スピリチュアルカウンセラーの江原さん曰く「お墓はカルシウム畑。霊はいない。いるとしたら、『死んだらお墓に行くものだと思い込んでいる人(霊)だけ。」とのことですけれども、確かに。
どちらかと言えば、お参りの方々と一緒にいらしているような感じを受けました。
お参りの皆さんがお墓の掃除をしたり、墓石に向かって拝んでいたりするのを皆さんの背後から楽しげに見ている・・・といった感じでしょうか。
お墓を背にして皆さんと向き合っている方は、ほとんどお見受けしませんでした。
また一見すると荒れているように見えるお墓がとても優しく暖かい想いで包まれていたり、反対に立派な(高級そうな)で掃除も行き届いているお墓に、なんとなく淋しい想いが漂っていたり・・・ということもありました。
もちろん、まめにお参りして、掃除も行き届いているに越したことはないのでしょうけれども、遠かったり様々なご事情でお参りできない場合もあると思います。
そんな時は想いを向けるだけで十分だと感じます。
そもそもお墓に故人がいるわけではないので・・・ね。
いうまでもなく、お墓の材質や大きさなどで、故人が成仏できるか否かが決まるわけではありません。
出来る範囲でするのが良いのではないでしょうか。
大切なのは形ではなく、そこに込められた想いです。
今回のお盆にお参りできなかった方、お墓のことで思案されている方、もしいらっしゃったら、今ご自身がいるところで故人へ想いを向けてくださるだけで十分伝わります。
そして、霊園にはその土地をずっと守護している存在達がいました。
今もずっと守護しています。
もし生前、「死んだらお墓に行くものだ。」と思い込んでいた方がお墓でウロウロされていても、いずれ然るべきところへ行けるよう見守っているように感じました。
と、霊能者でもないのに何でこんなことを書いているのか、自分でも不思議です。
異論がおありの方もいらっしゃることと思いますけれども、まぁ個人的見解ということでご容赦下さいませ(^_^;)