第32回 奥宮・元宮シリーズ7 日本一、元宮が多い伊勢神宮(元伊勢)
元宮と言えば、普通、主祭神が降臨された場所とか、山岳信仰のお山とかで、大体、1か所か2か所程度なのですが、伊勢神宮は、なんと、公式・非公式あわせて27か所もあるようです。
さすが、天照大御神様~って感じなのですが、なんでそうなったかは、伊勢神宮の成り立ちにあるようです。
有名な話ですので、ご存知の方も多いかと思いますが、さらりとおさらいです。(受け売りですが)
伊勢神宮の公式ホームページによると、
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瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)以来、天照大御神は天皇のお側でお祀りされていましたが、第10代崇神すじん天皇の御代、御殿を共にすることに恐れを抱かれた天皇は、大御神を皇居外のふさわしい場所にお祀りされることを決意され、皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)は大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に神籬(ひもろぎ)を立てて大御神をお祀りしました。
その後、第11代垂仁すいにん天皇の皇女倭姫命(やまとひめのみこと)は豊鍬入姫命と交代され、新たに永遠に神事を続けることができる場所を求めて、大和国を出発し、伊賀、近江、美濃などの国々を巡り伊勢国に入られました。
『日本書紀』によると、そのとき天照大御神は「この神風の伊勢の国は、遠く常世から波が幾重にもよせては帰る国である。都から離れた傍国ではなるが、美しい国である。この国にいようと思う」と言われ、倭姫命は大御神の教えのままに五十鈴川の川上に宮をお建てしました。
このように天照大御神は永遠の御鎮座地を伊勢に得られたのです。これが二千年前にさかのぼる、皇大神宮御鎮座の歴史です。『皇太神宮儀式帳こうたいじんぐうぎしきちょう』には豊鍬入姫命と倭姫命のご巡行地の記載があり、14カ所の比定地があげられています。


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ということで、正式には、「元伊勢」は14か所ということになります。
その中でも、個人的なお勧めは、最初の鎮座地である三輪山の高宮神社(大神神社の摂社)です。
今は、主祭神は、「日向御子」=邇邇芸命(ニニギノミコト)様になっています(違う説もあるようです)が、神威は、変わっていないのではないかと思います。
霊山である三輪山そのものも凄いですし、大神神社(おおみわじんじゃ)も古さでも、格式の高さでも凄いお宮さんなので、ご利益あること間違いなしというぐらいのパワースポットだと思います。

因みに、大神神社(おおみわじんじゃ)は、大物主様が主祭神ですが、元々は、出雲大社(いずもおおやしろ)の神様である「大国主神(おおくにぬし、別名:大己貴神(おおむなち))」様ゆかりの神社さんで、
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少彦名神(すくなひこな)様とともに国造りをしていたが、大国主様が、「お前は小さな神だな」と愚弄したために国造りなかばにして少彦名神様は常世に帰ってしまった。
大国主神が「この後どうやって一人で国造りをすれば良いのだ」と言うと、海原を照らして神が出現した。その神は大国主の幸魂奇魂(和魂※)であり、大和国の東の山の上に祀れば国作りに協力すると言った。その神は御諸山(三輪山)に鎮座している大物主神である。(ウィキペディアより)
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ということで、三輪山には、大国主様、少彦名様、大物主様が鎮座されているようです。
少彦名様は、一般的にはお薬の神様として、崇められているいるのですが、東京の神田明神さんでは、恵比寿様になっています。ところ変われば、役割も変わるようです。
※ 和魂(にぎみたま)= 幸魂(さきみたま)+ 奇魂(くしみたま)
女子力低下が気になる方に!
元宮と言えば、普通、主祭神が降臨された場所とか、山岳信仰のお山とかで、大体、1か所か2か所程度なのですが、伊勢神宮は、なんと、公式・非公式あわせて27か所もあるようです。
さすが、天照大御神様~って感じなのですが、なんでそうなったかは、伊勢神宮の成り立ちにあるようです。
有名な話ですので、ご存知の方も多いかと思いますが、さらりとおさらいです。(受け売りですが)
伊勢神宮の公式ホームページによると、
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瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)以来、天照大御神は天皇のお側でお祀りされていましたが、第10代崇神すじん天皇の御代、御殿を共にすることに恐れを抱かれた天皇は、大御神を皇居外のふさわしい場所にお祀りされることを決意され、皇女豊鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)は大和の笠縫邑(かさぬいのむら)に神籬(ひもろぎ)を立てて大御神をお祀りしました。
その後、第11代垂仁すいにん天皇の皇女倭姫命(やまとひめのみこと)は豊鍬入姫命と交代され、新たに永遠に神事を続けることができる場所を求めて、大和国を出発し、伊賀、近江、美濃などの国々を巡り伊勢国に入られました。
『日本書紀』によると、そのとき天照大御神は「この神風の伊勢の国は、遠く常世から波が幾重にもよせては帰る国である。都から離れた傍国ではなるが、美しい国である。この国にいようと思う」と言われ、倭姫命は大御神の教えのままに五十鈴川の川上に宮をお建てしました。
このように天照大御神は永遠の御鎮座地を伊勢に得られたのです。これが二千年前にさかのぼる、皇大神宮御鎮座の歴史です。『皇太神宮儀式帳こうたいじんぐうぎしきちょう』には豊鍬入姫命と倭姫命のご巡行地の記載があり、14カ所の比定地があげられています。


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ということで、正式には、「元伊勢」は14か所ということになります。
その中でも、個人的なお勧めは、最初の鎮座地である三輪山の高宮神社(大神神社の摂社)です。
今は、主祭神は、「日向御子」=邇邇芸命(ニニギノミコト)様になっています(違う説もあるようです)が、神威は、変わっていないのではないかと思います。
霊山である三輪山そのものも凄いですし、大神神社(おおみわじんじゃ)も古さでも、格式の高さでも凄いお宮さんなので、ご利益あること間違いなしというぐらいのパワースポットだと思います。

因みに、大神神社(おおみわじんじゃ)は、大物主様が主祭神ですが、元々は、出雲大社(いずもおおやしろ)の神様である「大国主神(おおくにぬし、別名:大己貴神(おおむなち))」様ゆかりの神社さんで、
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少彦名神(すくなひこな)様とともに国造りをしていたが、大国主様が、「お前は小さな神だな」と愚弄したために国造りなかばにして少彦名神様は常世に帰ってしまった。
大国主神が「この後どうやって一人で国造りをすれば良いのだ」と言うと、海原を照らして神が出現した。その神は大国主の幸魂奇魂(和魂※)であり、大和国の東の山の上に祀れば国作りに協力すると言った。その神は御諸山(三輪山)に鎮座している大物主神である。(ウィキペディアより)
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ということで、三輪山には、大国主様、少彦名様、大物主様が鎮座されているようです。
少彦名様は、一般的にはお薬の神様として、崇められているいるのですが、東京の神田明神さんでは、恵比寿様になっています。ところ変われば、役割も変わるようです。
※ 和魂(にぎみたま)= 幸魂(さきみたま)+ 奇魂(くしみたま)
女子力低下が気になる方に!
