突然ですが、私は喜びの感度がどうも鈍い気がする。


天気がいいとか、
道にお花が咲いてる、
道を譲ってくれたり、
エレベーターでドアを押さえてくれた見知らぬ人…

そういう小さな幸せに「気付く力」はある方で、ありがたいな〜嬉しいな〜と感じる事は多いものの、その時感じる喜びは本当にあくまで「小さな幸せ」でしかないのですよ。


対して嫌な事については、ほんの些細な事にも関わらず、ああもうめっちゃ嫌!めっちゃ苦痛!

と感度が良好すぎるのですよ。


「痛がり」みたいなもので、すぐに凹み、傷付き、腹が立ち、疲れ、辛くなる。


小さな幸せは小さな幸せでしかないのに、小さな不幸は大きな悩みや苦痛になる。

小さな幸せは度重なったところで小さな幸せのままなのに、小さな不幸が重なれば、下手するともう死んじゃおうかな…まで行ってしまいそう。

我ながら残念な心の持ち主だと思う。


さては歳のせい?

これが噂の更年期かしら?

それとも性格かなぁ?


そんな事を友達に何気なく話していると、良いことを教えてもらえました。

キャリアコンサルタントを目指して心理学などを勉強中のその友達によると、人はそもそも、嬉しい事よりも嫌な事や苦痛の感覚の方が敏感らしい。


まぁ、人によってはあまり朗報ではないかも知れません。

でも私は「そもそもそういう仕組みの生き物!」「それが正常!」と言われて、何だか安心しました。


AIのお坊さんに「生きるとはそもそも苦行である」と諭された時ぐらいホッとしました。

(↑多分「一切皆苦」の教え。
ガチのお坊さんに相談する勇気はないのでAIのお坊さんに相談してる人見知りなワタクシw)


「感じ方」について、友達は専門用語も交えて説明してくれたけど、詳しい事は忘れてしまったので(え?)

簡単に言うと…


嫌な事は3つのセンサーが感知する。

脳内で嫌ランプが3つ点灯すると、「ああもう嫌〜!」と感じるわけです。


対して嬉しい事は5つのセンサー。

「嬉しい、楽しい!最高〜!」と感じるには、嬉しいランプが5つも点灯しなければならない。


「嫌」はMAX3だけど、「嬉しい」はMAX5らしい。

だから、嫌な気持ちはレベル1でもう1/3嫌…
けっこう嫌…

なのに対し、嬉しいレベル1では1/5嬉しい程度。

同じレベル1の出来事でも、良いことは「ちょい嬉しい」止まりになってしまうというわけですよ。


我ながら説明下手すぎるけれども…伝われ🤣


これは本能でもあり、嫌な事をより強く嫌だと感じる事は、決して悪い事ではないと友達は言う。


うーん。本能かぁ…

本能と言われてしまうと、そりゃあ嬉しい事よりも、不快や不安や苦痛に敏感であるべきかも知れないと思える。


生きるための本能で「嫌」や「辛い」を強く感じているのに、それで死にたくなってしまったりもするのだとしたら困ったものですね。

本末転倒とはこの事か。

ヒトとしての本能が、人としての私を邪魔する…

なんというパラドックス!


そう言えば、母親は我が子の泣き声だけ、特別不快に感じるようになっていると聞いた事もある。

それは、眠っていても目が覚める程の不快感で、子どもの要求やSOSを察知するため。

そしてその不快感を解消しようとアクションを起こす事が、子どものためになるからなのでしょう。


我が子の泣き声にイライラしちゃうお母さんも、自分には母性が足りないのかな?なんて落ち込まなくていいのです。

そのイライラこそが子を育てていくための母性本能(らしい)です。

むしろ我が子がピギャーピギャー泣いてるのに平気でいられる方が母性足りてないですよね。


多分それと似たようなもので。

傷付きやすくて繊細で豆腐メンタルの人(私含む)って、実はめちゃくちゃ生存本能高めの霊長類なんじゃないかと思い始めました。


弱い人間かも知れないけど、
地球の生物「ホモ・サピエンス」としては

きっとつよい✨