日常 去年書いた感想文
とあるところに送ったものです。今考えると正しい文章じゃないのはがっくりですが、その雑誌のカラーとまるで違うなあ。記念なのではっときます。
今日もまたパソコンの整理整頓です。結構頻繁にやっているつもりなのですが、まだカオス状態です・・・
個人的に本とヒメアノ―ルがまだましだと思っているのですが、どうなんでしょうか。
2010年は間違いなく3D幕開けの年になった。新年、初映画がアバターだった人は多いことだろう。そんな3Dの映画達、その中でもトイストーリーは完璧だった。そして3Dではなくても、ストーリーや演出、脚本をみせる洋画。瞳の中の秘密、ぼくのエリ、シングルマン。これらは古き良き映画を思わせる重厚な映画だった。また、日本の映画はここまでできるのかと、邦画に対する認識を変えた「告白」、「悪人」等。これらを抑え、私が今年最も重要な映画として選んだのはドキュメンタリー映画の「オーシャンズ」だ。正直同じカテゴリーに入れていいのかは迷う。しかし、映画館でみて良かったと本当に思えた映画として、これ以上の作品はないと思っている。
瞬きをしたくない。そう思ってしまうほどの美しい映像のラッシュ。未知の世界。圧倒的映像の勝利。言葉だけではここまでの感動は生まれないだろう。鑑賞後、言葉の無力さに絶望したぐらいだ。まさに映像のなす驚異的な力、それをオーシャンズは余すことなく発揮している。
この映画、ドキュメンタリーにも関わらず構想期間が長い。アバターの14年には負けるが、10年もの年月を費やしている。ドキュメンタリー映画で10年?と最初は違和感を覚えたが、同様のドキュメンタリー映画と比べると、流れが自然で、映画としての完成度が高かったように思える。というのは何カ月か後に、宇宙からみた世界遺産という3Dドキュメンタリー映画をみたのだが、世界遺産という様々な文化を用いているためか、一連のつながりは感じられなかった。その時ふと、そういえばオーシャンズの時は特に気にせずに最期までみれていたことに気づいた。又、その完成度に貢献した音楽の良さも特質すべき要素だろう。来年は「アース」「ディープブルー」を生み出したBBCの新作、「ライフ」が公開される。もうDVDがでているのだが、ファーストコンタクトは映画館で。私はそう決めている。
映画 告白
それまで私には邦画を馬鹿にしている節があった。いや、馬鹿にしているといったら語弊がある。邦画に対してそこまで期待することはできないといった感覚のほうが近いかもしれない。
そもそも「告白」を見にいく時もそんなに期待はしていなかった。しかし暇さえあれば映画館という、映画に対して身軽な自分のスタンスと、音楽はレディオヘッドというのをラジオで知り、これはおもしろいと思ったのがきっかけだった。レディオヘッドはモンスターバンドであることに違いはないが、日本でメジャーというと違和感がある。メジャーという言葉の響きにレディオヘッドは共鳴できない。つまり、松たか子という表舞台の大女優が主演の映画でレディオヘッドを使うことが私には驚きだった。同時にレディオヘッドを起用したものの内容が薄く、音楽に負けている映画になっているのではないかと不安があった。
そんな私の認識をがらりと変えてしまった。その映画が「告白」だ。これ以上内容を語る必要はないだろう。
結果レディオヘッドの起用も大成功だった。公開初日の深夜の映画館で告白をみてから数カ月たつにも関わらず、本編中、レディオヘッドが流れたあるスローモーションの映像は、映画の全てを思い出させる、良質な残像として、私の中に残っている。
matryoshka / Monotonous Purgatory c/w Sink Into The Sin - Subliminal Version
何が基準だ?
自分が好きな音楽を模索するのは音楽好きにとってこの上ない贅沢だ。しかし何が基準で自分がそのアーティスト、曲が好きなのかと聞かれると、明確に答えられる場合とそうではない場合がある。
matryoshkaの音はいつも洪水のように降り注いでくる。私はある二文字を思い出す。真実、いや日常?家にこもり、あらゆる音を遮断してただmatryoshkaの音に陶酔することもあれば、とてもいい天気の日、そして太陽があまりぎらぎらしていない、そんな日にmatryoshkaを聞きながら街中を歩いてみる。景色が変わる。誰かが言っていた言葉、それを聞いたまた違う誰かが言っていた言葉が、私の頭をよぎる。「こんな晴れた日に頭をうったら、どんなに気持ちいいだろうー。」
不思議なのは明るい恋の歌が売れていると思いきや、まるで死にたいと言っているような曲の需要もあることだ。
そしてもう一つ不思議なのは死にたいと言っているような音は、生き生きとこちらに浸食してくるのだ。まるで人の中に入って、おこぼれをまつような。一緒に救済を待つ相棒のような顔をして。
今回のmatryoshkaもいつも通りmatryoshkaだ。ファンの期待を裏切ることはない。デジタルの時代に完全に移行しつつあるこの環境で、今回のアナログ曲はあまりに美しく、温かく語りかけてくる。
気になったのは少し大きめのストリングスの音。ボーカルとおよそ同じ大きさだ。しかしそんなことは関係ない。
あの声が埋もれることは決してないのだから。
本 『音楽嗜好症 ミュージコフィリア』 オリヴァー・サックス著
音楽がここまで身近な存在になると誰が予想していただろうか。現在音楽の重さはもはや量ることすらできない世界になり、いつでもどこでも聞くことができる。しかし、なぜ人が音楽を楽しむことができるのか、また脳のどの部分で音楽を音楽として判断しているのかは未だ解明されていない。
この音楽嗜好症という本は、突如人に現れた音楽と脳、耳に関連する病気の様々なケースが書かれている。それまで音楽に関わりのなかった人生を送っていた人が、ある日雷に打たれ、瀕死の状態から回復後、急にピアノの音を病的なほど欲するようになった。この事象を第一として約500ページの本は始まる。
500ページというと本になじみのない人は読むのが億劫になるかもしれない。実際私も読んでいる途中、映像化されればもっと楽に吸収できるかも・・・と思ってしまった。しかし案ずることなかれ。事例一つの長さは約20ページほどで完結する。私は毎日少しずつ読み進めながら、自分が音楽を楽しんでいることに感謝を覚える。中盤こんなエピソードがあった。絶対音感を持っている者が、衰えとともにそれが失われていくことに絶望する。私は絶対音感は持ち合わせていないが、全く変わらずに音楽を聴くことができる保障は残念ながらどこにもない。だからといって衰えや、突然の出来事に怯えながら音楽を聴くことはタブーと言っていいのかもしれない。部屋の傍ら、片隅でもいい。この本を置いて、見つめては、想いをはせる。
漫画 ヒメアノ―ル 古谷実
古谷実が描く世界は、日本のバンドが奏でる音、詩の世界に通じるものがある。今年連載していたヒメアノ―ルが最終回を迎えた。”マヌケニンゲン”そう題された最終話の見開きに、私は不覚にも泣いてしまった。つまはじきとはよく言ったものだ。おそらく彼はただ生きているだけで、他人が自分にむける”爪弾き”音を終始聞いている気分だったのだろう。それがどんな気持ちなのか、人と人とで共有することは難しい。わかったところで、犯罪に手を染めた彼の全てを許すことは、そう許しがたいことだ。しかしそれでも人は誰かと共有することを望んでいる。
彼はそれが叶わないことをしり狂ったのだ