映画 善き人のためのソナタ | tellvesper

映画 善き人のためのソナタ



一度目は途中で寝てしまったけどエイガ一刀両断でまさかの満点だったのを知り、再チャレンジ。前半はゆっくりと東ドイツのしがらみを描きつつも、コケイッシュな政府の無能さを描いていて、思ってたのと違うなと思ってた。しかしじわじわと腐りきった国家が描かれ、忠実な国家の"犬"といえた主人公が疑いをかけられ劇作家の盗聴をするのだが、ある時点から彼をかばうようになる。
それからは国家と彼の生活をとりまく全ての間で静かに、本当に静かに奮闘するのだが・・・


いい映画だった。台詞数がすくないのに、その全てに無駄がなく、過度すぎない描写。


東ドイツとベルリンの壁についてわかりやすい解説↓http://www.mauer.jp/転載


lenojesca



・分割占領
 第2次大戦でドイツと戦ったアメリカ、イギリス、フランス、ソ連の4か国はドイツを分割して占領しました。そして首都だったベルリンも、これら4か国の間で分割され、占領されました。ソ連がベルリンの東側半分を取り、米英仏は西側半分をほぼ3等分して占領しました。この分割占領こそが悲劇の始まりでした。その後、米英仏とソ連の対立が決定的となるにつれ、その影響は分割占領されていたベルリンにもはっきりと及び、西ベルリンと東ベルリンの体制の差、分断状態もはっきりしてきたのです。

・壁が必要だった理由
 特にソ連が占領していた東ベルリンでは、社会主義的な統治が敷かれ、生産ノルマ引き上げなど労働者への締め付けが厳しくなっていったのです。これを嫌って東から西ベルリン側に移り住んだり、東側に住みながらも稼ぎのいい西ベルリンへ通勤する人が50年代を通じて増えました。これは当然、東ベルリン側(東ドイツ、ソ連)にとっては許せない事態です。戦後復興に欠かせない労働力が、どんどん西側へ流出してしまっては、計画経済が成り立たないからです。東独は、こうした人口の移動を「西側による人身売買」と非難し、防止に躍起となりましたが、東西間の生活水準の差は明らかでした。

・そして壁ができた
 そこで東側がとった策が「壁」の建設だったわけです。西ベルリンを壁で強引に囲ってしまい、交通を物理的に遮断することで、労働者を西側に逃がさないようにしたのです。1961年8月13日未明のことでした。しかし、壁の建設といっても、最初から立派な壁を作れたわけではなく、当初はとりあえず鉄条網を立てて封鎖していくというものでした。その後、鉄条網に代わってコンクリートのブロックを積み上げた壁や、コンクリート板を使った塀のような壁が作られました。

・西ベルリン全域を囲っていた壁
 したがって壁とは「西ベルリンと東ベルリンの間の境界線上(約60キロ)にあって、東西ベルリンを互いに隔てるもの」という認識は間違いです。よくこのように誤解されますが、現実には「西ベルリン全体を東独の中で封鎖し、孤立化させたもの」です。だから壁は西ベルリンの周囲(約165キロ)にあったのです。

・進歩を続けた壁
 時間がたつにつれ、壁は改良され頑丈になっていきましたが、「間仕切り」だけが作られたわけではなく、警備をしやすくするため、壁の裏を数メートルから数十メートルの幅にわたり無人地帯にしたり、越境する者がいないか見張るための監視塔を建てたり、警報装置を設置するなど、様々な付帯設備も作られました。亡命を阻止するためにあらゆる工夫を凝らしたのです。そして徐々にしっかりした封鎖体制が築かれるようになりました。壁を見張っていたのは国境警備隊という軍隊組織でした。

・壁の持つ意味
 つまり「壁」は単に障害物としての存在だけでなく、西ベルリンを周囲から完全に切り離し、東側からは絶対に越えさせないようにするための道具となったのです。そして、そうすることで東独の市民にとって西ベルリンは存在しない街、存在してはならない街になったのでした



映画ででてくるベートーベン 熱情



「革命ができなくなる。深く聞いたものは、悪人になれなくなる」

しかし映画の中での悪人は違う角度からのものです。

公開中の悪人も見に行きたいな