清岡卓行「アカシアの大連」

清岡卓行の「アカシアの大連」を読んだが、正直面白くなかった。最初の「朝の悲しみ」は、著者の妻を失った悲しみがうまく描写されていて、小説として面白かったが、それ以降は完全に大連の説明に終始しており、物語としての動きがなく、はっきり言って退屈だった。芥川賞の受賞作ということで読んでみたが、完全に期待外れだった。教科書の手の変幻は面白かったが残念。

 

中野剛志の著作を読んでの経済について思うこと

矢野論文で登場するバラマキとはかなり乱暴に使われており、定義も明らかではないので、著者が判断軸を整理している。ただし、前章で問題提起された財政破綻の定義のうち、制御不能のインフレについて充分な説明されていないのに、いきなりバラマキについて説明に入るのは唐突感がある。

①「財政余地」は機能的財政から、インフレ率を判断材料にすべきとする。日本はデフレ状況なので気にする必要なはない。

②「財政目的」は、例えば、コロナウイルスが流行した際に政府は特別給付金を支払ったが、貯蓄に回って消費にはならなかったという批判がつきまとう。しかし、コロナで困った人には多少なりとも困窮を和らげる効果もあったし、コロナ禍で消費を促進するのは無理がある。そして、消費を促進するのに最も効果が高いのは消費税の減税である。税は特定の状況を達成するための政策手段、例えばエコカー減税や投資優遇制度のNISAなど

③「財政効果」は、日本はデフレで需要不足なので、災害対策や少子高齢化対策など現時点の必要な政策を実行すれば、効果は出る。そもそも効果とは何かを定義する必要があるか

経済成長と財政支出には相関関係があるが、「経済成長したから財政支出が増えたのか」「財政支出が増えたから経済成長したのか」どちらなのか。GDPの恒等式や経済成長に財政支出は無関係とする立場から、経済成長してわざわざ財政支出する必要がないことや財政支出を絞って経済成長した国がないことから、後者が妥当

 

私見

世間の一般の財政論は、世代へのツケだの黒ひげ危機一髪だの抽象的な比喩でごまかしている印象しかない。

そのくせ、財政破綻とは何か、政府債務残高が増えているが何か変わったのか、なぜ金利の急騰が起きていないのかなど具体的な説明をしていない。また、日銀が国債を引き受けているのに、国債の金利が全く上がっていないことについても説明がない。日銀に国債を引き受けたらハイパーインフレになるということを言っていた人たちは何なんだろう。

健全財政論者は、知的な能力が不足している気がする。