どこぞの某市長(令和7年7月8日現在)の学歴詐称疑惑。
もう辞任されると発表されましたが、某市長は昭和45年2月生まれということなので、学年でいえば私の一つ上。
現役合格だったら88年に入学、現役卒業なら91年の卒業となるのでしょう。
私より学年が一つ上は、バブル世代真っ只中に大学生で、空前の大学生売り手市場最後の年に就活した最後の世代で、バブルが弾けた瞬間に就職した世代。
この1990年前後のイカれた就活の雰囲気は織田裕二さん主演の映画「就職戦線異常なし」をご覧ください。
私の先輩らはまさに劇中で描かれているような内定者の囲い込みや、企業によってはお車代とは名ばかりのお小遣いなんかも貰っていましたからね。
私が91年に就活していた時には、バブルが弾けて最初の業績が数字となって確認できた時ですから、バブルの残り香が空気感でまだ残っていた世代です。
私が新社会人となった年に就活していた学年が一つ下世代(もう一つ下だったかな?)は、「新卒採用なし」とか大手企業が「新卒採用大幅削減」ということが報じられた世代。
どうやら市長だった女性は、同級生の話だと卒業後はバンドでデビューしようと行動していたとのことなので、就活されてなかったのかもしれませんね。
もしかすると単位不足で卒業できないと自覚していたとか、大学は4年行けば卒業できると義務教育みたいに考えていたのかもしれないですね。
30年以上前のあんなバブルで浮かれた時代でも大学生活を送った人は分かると思いますが、大学生は必修科目と必要な単位を考えて時間割を組みましたよね。
高校までは時間割って決まってましたが、自分で必修と単位を考えて計算して時間割を組まないといけないシステムだから、クラスのすでに仲良くなった子らと見せあって時間割を確認にした記憶です。
特に大学三年目、四年目は卒業のために残り単位がどうなっているか、卒業するためにあと何単位必要かをしっかり確認して時間割を組む方がほとんどだったと思います。
バブルだからと遊び呆けていたりバイト三昧だったような大学生も、就活で内定をもらうと、出席率やテストの点数が悪かったり、提出物を出してないなどの講義があった場合は、どうにかして単位をもらって卒業できるよう教授に働きかけたりするなんて、当時はドラマや映画でも題材にされることが多かったから実際にそんな大学生も多かったはず。
実際私も4年の時に水曜の1限目だけという時間割にしてしまったため、その講義だけを受けるために大学へ行くのが億劫で、前期はほとんど出席せずにサボった講義がありました。
私は落とした授業はありませんでしたが、友人らは落とした講義があったりしていたので、その水曜の1限目だけは友人らが嫌がり、他の講義を選択したんですよね。
その講義だけ一人で受けて、折角朝から大学へ行っても誰とも会わずに、午前中から一日フリーになるというのもなんか面白くなくてサボった記憶。
後期の最初の授業の時に就活と重なって出席できなかったと教授に嘘の説明したところ、内定をもらえたことを祝ってくれて、「後期ちゃんと出席して提出物もちゃんと出せば単位はあげるから」と優しく言われたので、後期はまじめに受講して単位もらいました。
ただ、嘘を付いたという後ろめたさがあるからか、数年に1度くらい大学卒業できてないって夢を見て焦って起きることがありますけどね。
私も大学の卒業式は参加したけど、卒業式の内容や卒業証書学位書のファイルをどう受け取ったのかは全く記憶になかったりします。
ついでに、卒業証書学位書ってどこにしまったか記憶にないなぁ。
ただ、未だに大学の学友会か何かから勝手にOB向けのカラー冊子が年1くらいで届きますから、卒業しているのは確か。
もう30年以上前のことですからね。
大学も3年目までは真面目に通っていたから学食なんかも食べたりしているはずなんだけど、大学のどこで食べたかどうか全く記憶がない。
大学の教室や講義室、ゼミ室、体育館などはしっかり記憶しているんだけどなぁ。
レストランとか喫茶のようなスペースは全く使わず、午後の授業を終えてから友人らと遊びに行って毎日大学の外で食べていたのかなぁ。
大学時代に食べに行った飲食店とかショッピングビルなどはしっかり記憶しているからそれ以外考えられないんですけどね。
卒業式とか卒業証書学位書をどうもらったか、どこに保管しているかとか、意外と大事なことだけど覚えてないなぁとは思いましたね。