福来博士の「神通力の存在」 208-1
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精神現象の驚異 その弐
福来博士の「神通力の存在」
あなたは、その存在を、信じますか?
福来友吉の「神通力の存在」が
昭和2年10月 科学画報 精神現象の驚異号に
掲載される以前のお話
科学画報 精神現象の驚異号をご覧になってない方は、
こちらを先にどうぞ
明治30年代半ば催眠術ブームが起こり
催眠術応用をうたう民間療法士が現れる
明治42年
そんな中、熊本生まれの御船千鶴子
(23歳)が千里眼
による体内透視能力の
持ち主として注目されるようになる。
千鶴子は義兄の清原猛雄に催眠術をかけられたのがきっかけで、
超能力者として目覚めたと言われている。
千鶴子は鈴木光司の小説『リング』に登場する超能力者、
山村貞子の母親「山村志津子」のモデルと言われている
*ちなみに、リング、貞子の曲で、
「く~る、きっとく~る」と聞こえる出だしは、実は、
「Oooh、きっと来る」だそうです。
曲名:HIIHのfeels like “HEAVEN”
明治42年8月
御船千鶴子が、京都帝国大学の前総長、木下広次の治療を行う
明治43年2月19日
そのことに興味を持った京都帝国大学の今村新吉が
熊本で御船千鶴子の能力を調べるため、カードを用いた透視実験を行う、
高い的中率であったという
東京帝国大学助教授 福来友吉
明治2年 - 昭和27年
(この写真は、マギー司郎さんに似ていますね)
明治42年4月9日
当時、催眠心理学を研究していた、東京帝国大学助教授 福来友吉が
このことに興味を持ち、今村新吉の二人で
より厳密な条件で実験を試みたがこのときは失敗。
その後、方法を変えて実験し多くが的中する。
その結果を受け、4月25日に福来が、東京帝大内で実験報告、
一躍脚光を浴びるようになる。
同年9月14日
福来は東京に御船千鶴子を呼び寄せ、
科学者たち、ジャーナリストらを集め公開実験が行うが
列席者の不信を買う。
それは、
千鶴子のが千里眼の透視実験を行う際に、立会人の同室を拒否したり、
背を向けた形で座り、千鶴子の手元が見えないようにするなど、
不審な行動が多く見られたからだ。
これをきっかけに、否定的な意見が、学者やマスコミの間に強まって行く。
明治44年
千鶴子はその後、明治44年1月、重クロム酸カリを服毒し、
自らの命を絶ってしまう
実は……
これから紹介する
科学画報 精神現象の驚異号に掲載された
福来友吉の「神通力の存在」には
御船千鶴子の話はいっさい出てこない
苦い思い出だったのかも知れない
念写とは手品ではない
念写とは観念の働きによりて、
乾板の膜に種々の形象を現出させることである
この念写という現象は、私(福来)が明治43年12月27日に、
丸亀の長尾夫人に就いて初めて発見したものである。
明治43年11月21日
に「高」という一字を撮影した乾板を私の親友、
文学士菊池俊締氏(当時、丸亀中学校教頭)に預け、
長尾夫人に透視させることを依頼した。
ところが婦人はこれを「高」と透視して的中した。
さらに12月7日に、
私は「哉天兆」の三文字を撮影した乾板を菊池氏に送り、実験を依頼した。
婦人はこれを「哉天兆」の三字であると透視して見事的中、
驚くべし長尾夫人は
現像せざる乾板の物象を透視得たのである。
その長尾郁子も、ラジウムでインチキをしたと新聞にかかれ、
後に高熱を出し、病死してしまいます。
「神通力の存在」は、主に長尾郁子の実験の結果を記載しています。
その後福来博士は、
偽科学者、イカサマ師などと非難され、
東京帝国大学を追われるように去る。
「神通力の存在」は帝大退職後の高野山大学教授時代に執筆されたものです。
福来博士の「神通力の存在」は
長くなりますので別ページに掲載しました。
興味のある方、そして、忍耐力のある方は
こちらからどうぞ。
右ページの写真 渡辺偉哉氏によりて霊光の文字を念写されたもの
精神現象の驚異 その弐
福来博士の「神通力の存在」
あなたは、その存在を、信じますか?
福来友吉の「神通力の存在」が
昭和2年10月 科学画報 精神現象の驚異号に
掲載される以前のお話
科学画報 精神現象の驚異号をご覧になってない方は、
こちらを先にどうぞ
明治30年代半ば催眠術ブームが起こり
催眠術応用をうたう民間療法士が現れる
明治42年
そんな中、熊本生まれの御船千鶴子
(23歳)が千里眼
による体内透視能力の
持ち主として注目されるようになる。
千鶴子は義兄の清原猛雄に催眠術をかけられたのがきっかけで、
超能力者として目覚めたと言われている。
千鶴子は鈴木光司の小説『リング』に登場する超能力者、
山村貞子の母親「山村志津子」のモデルと言われている
*ちなみに、リング、貞子の曲で、
「く~る、きっとく~る」と聞こえる出だしは、実は、
「Oooh、きっと来る」だそうです。
曲名:HIIHのfeels like “HEAVEN”
明治42年8月
御船千鶴子が、京都帝国大学の前総長、木下広次の治療を行う
明治43年2月19日
そのことに興味を持った京都帝国大学の今村新吉が
熊本で御船千鶴子の能力を調べるため、カードを用いた透視実験を行う、
高い的中率であったという
東京帝国大学助教授 福来友吉
明治2年 - 昭和27年
(この写真は、マギー司郎さんに似ていますね)
明治42年4月9日
当時、催眠心理学を研究していた、東京帝国大学助教授 福来友吉が
このことに興味を持ち、今村新吉の二人で
より厳密な条件で実験を試みたがこのときは失敗。
その後、方法を変えて実験し多くが的中する。
その結果を受け、4月25日に福来が、東京帝大内で実験報告、
一躍脚光を浴びるようになる。
同年9月14日
福来は東京に御船千鶴子を呼び寄せ、
科学者たち、ジャーナリストらを集め公開実験が行うが
列席者の不信を買う。
それは、
千鶴子のが千里眼の透視実験を行う際に、立会人の同室を拒否したり、
背を向けた形で座り、千鶴子の手元が見えないようにするなど、
不審な行動が多く見られたからだ。
これをきっかけに、否定的な意見が、学者やマスコミの間に強まって行く。
明治44年
千鶴子はその後、明治44年1月、重クロム酸カリを服毒し、
自らの命を絶ってしまう
実は……
これから紹介する
科学画報 精神現象の驚異号に掲載された
福来友吉の「神通力の存在」には
御船千鶴子の話はいっさい出てこない
苦い思い出だったのかも知れない
念写とは手品ではない
念写とは観念の働きによりて、
乾板の膜に種々の形象を現出させることである
この念写という現象は、私(福来)が明治43年12月27日に、
丸亀の長尾夫人に就いて初めて発見したものである。
明治43年11月21日
に「高」という一字を撮影した乾板を私の親友、
文学士菊池俊締氏(当時、丸亀中学校教頭)に預け、
長尾夫人に透視させることを依頼した。
ところが婦人はこれを「高」と透視して的中した。
さらに12月7日に、
私は「哉天兆」の三文字を撮影した乾板を菊池氏に送り、実験を依頼した。
婦人はこれを「哉天兆」の三字であると透視して見事的中、
驚くべし長尾夫人は
現像せざる乾板の物象を透視得たのである。
その長尾郁子も、ラジウムでインチキをしたと新聞にかかれ、
後に高熱を出し、病死してしまいます。
「神通力の存在」は、主に長尾郁子の実験の結果を記載しています。
その後福来博士は、
偽科学者、イカサマ師などと非難され、
東京帝国大学を追われるように去る。
「神通力の存在」は帝大退職後の高野山大学教授時代に執筆されたものです。
福来博士の「神通力の存在」は
長くなりますので別ページに掲載しました。
興味のある方、そして、忍耐力のある方は
こちらからどうぞ。
右ページの写真 渡辺偉哉氏によりて霊光の文字を念写されたもの