小話(湊の過去) | Retro Friends ~This is ther's happy life!~

小話(湊の過去)

「わたしは湊の花好きだなぁ」

様式は立花。イキシア、オクロレウカ、イトバショウ等といった花々が構成する。
優美な姿に目を惹かれ、風格を感じさせる作品である。
だがそれ以上に、見る者にどこか張り詰めた雰囲気を伝える。
凛とした佇まいは、作品と外界を切り離し、そこだけが切り取られた別世界のよう。
世界を拒絶し、他者を寄せ付けない――そんな怜悧さが感じられた。

「花は本当に人間性を表すよね。湊にそっくりだ」

人目を引くが、常にどこかで一線を引き、決して踏み越えさせない。
全てを完璧にこなしてきた。それ故の不器用さ。本性を曝け出すことが苦手。
渚や、幼馴染の面々にはある程度の「素」を見せるけれど。
その奥底の本当の本音はいつも隠したまま。「天邪鬼だ」と彼女は笑った。
だからこそ感じさせる他者を拒絶するような冷たさ。
未熟な己は、そのまま作品に繁栄されてしまう。

「それでも、わたしは湊の花が好きだよ」

隣に並ぶ作品、様式は生花。木瓜と白玉椿が、静かな際立ちを見せる。
華美ではないが、どこか素朴で優しげな雰囲気に包まれる。
これもまた、作り手の人間性を物語っているようで。
それでも彼女は、その優しさよりも、湊の冷たさの方が好きだと言う。

「ひどい人。優しくて優しくて、どこまでも残酷な人」

ぽつりと呟かれた彼女の言葉。泣き笑いのように聞こえた。


***


室町時代より続く華道大流派の家元を、穂坂家は代々継いできた。
現在は湊の祖父が家元を務め、湊も渚も幼い頃から生け花を習ってきた。
最初の出会いは、湊がまだ初等部の頃、彼女が門下生として入ってきたときだった。

「荻久保桜(おぎくぼさくら)です。よろしくね」

湊や渚より幾らか年上のその少女は、にこりと微笑んだ。
父の友人の大手航空会社の社長令嬢だという。
今後、湊達と一緒に稽古することがあるだろうと紹介された。
姉のような稽古仲間が出来たことに、渚は単純に喜んだ。
しかし、湊はそうすることが出来なかった。

「弟達をよろしく頼むよ」

兄・亮(あきら)は彼女にそう微笑んだ。彼女も「はい」と笑顔で応える。
気付いてしまった。彼女のその笑顔に。彼女が兄に向ける視線に。
その瞬間、湊は彼女を「敵」として認識した。


***


「湊ってさ、実はわたしのこと嫌いだよね?」
「当たり」

さして取り繕うでもなく、湊はあっさりと告げた。桜は思わず顔を顰める。

「きっつー。何もそこまではっきり言うかなー。
っていうかさ、わたし湊に何か嫌われるようなことした?」
「・・・・・・・・・・・・桜さ、兄さんのこと好きでしょ?」

一瞬驚いた顔をしたあと、今度は少しうろたえる。「え?何で分かったの?」という風に。
ふんっと湊は鼻を鳴らした。そんなこと、最初から分かりきっている。
初めて会った時から数年、今でも彼女は兄の方ばかりを見ていた。

「兄さんに近付く女はみーんな敵だ」

勉強も、スポーツも、家のことも、全てを完璧にこなしてきた。誰にも負けるつもりはない。
それでも、唯一、あの兄だけは例外だった。朗らかで、優しくて、いつも笑顔の兄。
それでいていつも全てを湊以上にこなしてみせる。あの兄にだけは全く勝てる気がしない。
否、始めから勝つ気などなかった。兄の弟であることを、湊自身が誇りに思っている。
大好きな自慢の兄。渚に「ブラコン」とからかわれることもあるが、自分でも認めている。
そして、そんな兄に思いを寄せる少女が少なからずいることも。
湊にしてみれば、自分から兄を奪う可能性のある女は皆敵だった。

「湊は、本当に亮さんが大好きなんだー」

くすくすと笑い始める桜。先程からくるくると表情が変わる彼女。
いつも不機嫌そう、とかたまに笑っても腹黒そう、とか言われる湊にはそれも不思議だった。
渚もそうだが、どうしてこうも短時間で表情が変化するのか。何だか理解しがたい。
それに、何となく笑われたことが気に食わなくて。

「ふんっ。どうせ無駄だろうけどね。だって兄さんには――・・・・・・」

そこまで言いかけて、湊ははっと桜の方を見た。
先程までとはうって変わり、寂しげな笑顔を浮かべている。
後悔した。不用意なことを口走ってしまったと。それと同時に。
少しだけ、ほんの少しだけ、僅かな怒りも込上げる。
さっき笑われたこと以上に、今桜がこの寂しげな笑顔を浮かべていることの方が、気に食わない。

「・・・・・・うん、知ってる。亮さんが誰を好きなのか」

亮は桜に優しい。大切にしてくれている。そんな亮が桜は好きだった。
だけどそれは渚に向けるのと同じ、「妹」のような感覚。
何より不器用な弟が、珍しくこうして本音をぶつけている数少ない存在と知っているから。
桜も湊の性格を承知し、何だかんだ言いつつも受け止めている。
だから亮は殊更桜に優しい。湊が亮を思うように、亮もまた、湊を愛しているから。
そしてそんな亮は――昔から、ただ一人の人を思い続けていた。

「だけど良いんだ。思い続けるのは、自由だしね」

例え振り向いて貰えなくても。亮が微笑みかけてくれるだけでいい。
湊や渚と共に稽古をし、花を生け、亮はその様子を微笑ましく見守ってくれる。
桜の作品を見て、「綺麗に出来たね」と言ってくれる。
それだけで桜は満足だった。だから今もこうして湊の傍にいる。
湊の傍にはいつも亮がいるから。

亮のことを思い、微笑む桜ははっとするほど美しい。それは一人の女としての顔だった。
その横顔を眺めながら、湊はますます面白くない気分になった。


***


「・・・・・・亮さんに伝えておいてくれるかな?時期家元就任、おめでとうございますって」

私は直接言えないから、と彼女は変わらず、泣き笑いのような声で言った。

先日、内々に祖父から発表された。亮を祖父の跡目――時期家元に据えると。
若すぎるという声もあったが、異論を唱える者は誰もいなかった。
それだけの才が亮にはあった。公には、間もなく開かれる作品展で記者発表が行われる。
同時に、祖父から伝えられたことがもう一つあった。それは亮の婚約。
亮自身まだ学生なので、結婚自体は先の話だが。相手は、長年の思い人。

湊、渚、桜は祖父から聞かされる前に、亮から直接報告を受けていた。
桜はただ一言、「良かったですね」とだけ微笑んだ。「おめでとう」とは直接言えなかった。
今でさえ、「時期家元就任おめでとう」と言付けるだけ。
この手の話に鈍感なのか、亮は決して桜の気持ちに気付くことは無かった。
そして自ら婚約のことを伝え、桜の気持ちに終止符を打たせた。
最後まで変わらず、優しい微笑みを浮かべたまま。彼は桜の気持ちを遮った。

「ひどい人」

もう一度、桜は呟いた。振り向いて欲しいとは思わなかった。
いつかは諦めなくてはいけないことも、分かっていた。
だけど気持ちを伝えることもないまま、こうして終わりを迎えてしまうなんて。
それも、亮自身の手で。亮は優しかった。祖父の口からではなく、自分の口から伝えたいと言ってくれた。
けれどその優しさが、桜にとっては何よりも残酷だった。
あんな幸せそうな笑顔を見せられては文句を言うことも出来ない。

紅白の花で生けられた亮の作品は、亮の人柄をそのまま表しているよう。
どこまでも真っ直ぐで優しい。だけど桜は湊の花の方が好きだと言った。
残酷な優しさよりも、分かりやすい冷たさと不器用さ。そっちの方が桜には優しかった。
桜を嫌いだとはっきりと言った湊。だけど湊の冷たさは、桜を傷つけることは無かったから。
逃げようと、思った。亮から、自らのこの気持ちから。
逃げて、離れて、そしてまた今度は笑顔で「おめでとう」と言えるその日まで。
そうなったら帰ってこよう。湊や渚と一緒に、花を生けよう。

「さて、と。そろそろ行かなきゃ。飛行機の時間に間に合わない。我侭聞いてくれてありがとね」

発つ前に最後に、亮と湊の作品を見たいと。我侭を言って、作品展会場に入れてもらった。
本人には言えないから、せめて亮の花に、「おめでとう」と伝えたくて。

「ロンドンだっけ?どれくらいいるつもり?」
「んー・・・2年位は向こうかも。元々、パパから薦められてた留学だし。
いい機会だし、向こうでパパの手伝いがてらビジネスの勉強してこよーかなーって」
「渚が見送り行けなくてごめん、ってよ」
「大丈夫。向こう着いたらなぎちゃんにもメールしとくね」
「・・・・・・・・・・・・桜」

ふいに足を止めた湊に呼ばれ、桜は振り向いた。
改めて、湊の姿をまじまじと見た。初めて出会った頃は、ただ生意気なガキだったのに。
中等部に上がってからどんどん背が伸びて、カッコ良くなってきた。
渚から女の子に人気があると聞いて「嘘だーっ」と笑い飛ばしたが、確かに、と思ってしまう。
作品には表れてしまうが、不器用な性格も何やらうまく猫を被っているらしいし。
そんなことを考えていると、もう一度「桜」と名を呼ばれる。
年下のくせに生意気だが、桜は湊に「桜」と呼ばれることが嫌いではなかった。
冷たくて嫌味だが、湊と一緒にいることは何だかんだで楽しかった。

「・・・・・・・・・・・・あのさ、俺・・・・・・」
「なに?」
「いや・・・・・・いいや、何でもない。また次会ったらそのとき話す」
「そう?」

「?」と首を傾げた桜だが、まぁいいかと再び歩き始めた。
亮が桜の気持ちに気付かなかったのと同じく、桜もまた気付くことは無かった。
面白くなかった。初めて会った時から。彼女が兄に向ける思いが。
大好きな兄に近付く女は敵。だけど敵な筈の彼女は、いつも湊の傍にいた。
湊の傍にいて、湊の不器用さを見抜き、その冷たさを理解して、それでも「好き」だといった彼女。
知らず知らず彼女から大きな影響を受けていた。だけどその事実を伝えるのはまだ先。
亮にとって桜が「妹」だったように、桜にとっての湊も「弟」のような存在。
だから今は、彼女が逃げ出すのを黙って見送る。けれど、今度帰ってきたときには。

「じゃあね、湊。元気でね」
「本当に空港まで送らなくていいの?」
「うんっ。車待たせてあるし。これから作品展の準備もあるでしょ」
「――桜。俺も、桜の花は好きだったから」

鮮やかで明るく、生命感に満ち溢れた作品。それが桜の花だった。
今はまだ言うつもりはない言葉。だけど、最低限これだけは。
桜は笑顔で「ありがとう」と告げた。先程までの泣き笑いのような顔はもうない。

遠ざかる車を見送りながら、ぼんやりと考えた。
次に彼女と会った時、どんな花を生けようか。「桜」を使った作品が良い。
兄と比べてではなく、今度こそ、「湊のが好き」と言わせるために。
湊は踵を返し、作品展の準備へと向かった。


wrote by Matsuri