哲学者エリック・ホッファーは港湾労働者として働きながら図書館に通い、そこで大学レベルの物理学や数学の知識を得たという。
私はいろいろと本を読んできたつもりだが、私の読書は「既に文法を知っている者が新しい単語を知っていく」ようなものだと思っている。読書によって新たな文法を知ることはあまりない。高校理系レベルの物理学や数学の知識はなく、それらを読書で学ぶこともできない。ホッファーのような才人は、基本的な文法そのものを読書によって学ぶことができたのだろう。

(2026年3月27日)

津山三十人殺しの犯人は、身体的理由で徴兵に不合格になり、そのことで劣等感に苛まれたという。三島由紀夫も20歳の頃に徴兵で不合格になり、遺書も残したという。『くまのプーさん』の作者の息子であるクリストファー・ロビン・ミルン(クリストファー・ロビンのモデル)も徴兵で不合格になりそうだったが、著名な作家であった親の名前で何とかエンジニアとして軍隊に入れたという。
20世紀前半、徴兵を不合格になるというのは男失格の烙印を押されるような辛さがあったのだろうな。

(2026年3月31日)

『宇宙戦艦ヤマト』のような「日本人が正義の味方となって世界を救う」という物語は、戦後日本人の心に染みたものだったのだろうなと思う。実際に近代日本はアジアを侵略しナチスと組んだ「悪役」だったから一層のことだ。山崎貴監督の『ゴジラ-1.0』は敗戦した日本人がゴジラに立ち向かって一致団結するシーンが感動的に描かれているが、宇宙戦艦ヤマトにあるような「日本人が世界を救うというカタルシス」の演出の仕方が上手いなと感じた。かつて町山智浩は、山崎貴監督の『SPACE BATTLESHIP ヤマト』を賞賛しつつも「アニメのヤマトにあるようなナショナリズムが欠如している」と論じた。それから13年後の山崎は『ゴジラー1.0』で上手く「日本人が世界を救う」というソフトなナショナリズムを落とし込んだなあ。

(2026年4月1日)

もう一度生まれてくるなら、やはり勉強もできてスポーツも上手い人間に生まれてきたいと思う。例えば、清水東高校でサッカー部レギュラーみたいな人に生まれてきたいわけだ。しかし、もし私が清水東高校サッカー部の海野くんに生まれたとしたら、それは私であると言えるのか。もはやそれは海野くんであって、私ではないのではないか。そんなことを考える。

(2026年4月27日)

ロビン・ダンバーの本を読んでいたら、男性の友人グループは誠実性が似ており、女性の友人グループは神経症的傾向が似ている、という話が出てきた。
男性は計画性や責任感の程度で友人をつくり、女性はメンタルの安定性や共感性の程度で友人をつくる傾向があるということだろう。
男性の場合はだらしのない男性同士が集いやすく、女性の場合は不安な女性同士が集いやすいということか。

(2026年5月13日)

少子高齢化に伴い、我が国の社会福祉分野における人材不足は深刻な局面を迎えている。今後も生産年齢人口(15〜64歳)の減少が確実視される中、この需給ギャップはさらに拡大する見通しである。
​経営体としての社会福祉法人は、スケールメリットを活かした収益拡大と、それに伴う職員の処遇改善を目指し、法人の大規模化や合併を推進している。採用競争力を高めるための個別最適としては合理的であり、法人規模の拡大トレンドが起きるのも必然である。
​しかし、マクロ(国家全体)の視点に立つと、ここには構造的な矛盾が存在する。
福祉従事者の絶対数が減少している中で特定法人が規模を拡大すれば、限られた人材の偏在(一極集中)を招く。結果として、人材を確保できない中小法人や地域において人手不足が致命化し、社会全体における福祉の供給力はむしろ減退・加速することになる。
​以上の構造から、今後は「人手不足を理由とした福祉サービスの機能停止」が現実化すると予想される。具体的には、人員基準を満たせない施設・グループホームからの「利用者の実家戻し」や、デイサービス・作業所の事業縮小に伴う「通所困難化」である。
​この問題は地方の過疎地域ほど早期かつ深刻に表面化する可能性が高く、相対的に人口が集積する東京都、神奈川県、大阪府などの大都市圏の法人にリソースが集中し、法人の生存格差が顕著になるものと考えられる。

(2026年5月18日)

緑黄色社会の新曲「章」で「シワも増えてきた。確かに生きてきた」という歌詞がある。まだメンバーはアラサーで早すぎる気もするが、既に歌詞で「若さの喪失」を扱う気概があるのだなと感じた。元々、邦楽ポップスは「若さの喪失」を扱うのが苦手なように思う。桑田佳祐の「祭りのあと」やミスチルの「youthful days」は「若さの喪失」を扱った優れた例だが。

(2026年5月18日)

作家の平野啓一郎が「何をカッコいいとするかに、個人のアイデンティティと結び付いた深い意味がある」というようなことを書いていたが、これはなるほどと思った。
例えば私にとってキング牧師は最高にカッコいい男だ。それはなぜなのか。
1死を恐れずに、自身の理念を貫き通したから
2白人と黒人が同じテーブルにつくことを望んだように、極論に走らず寛容の精神の持ち主だったから
このカッコよさの価値観は私独自のものであり、特に論理的な根拠はない。
「最高にカッコいいと思うのは誰か」という質問に答えることで、その人の価値観が判明するかもしれない(平野啓一郎はマイルス・デイヴィスを最高にカッコいいと感じているようだ)。 

(2026年5月31日)

理系の友人が「この世界が整合的に見えるのは人間の大きさにおいてのみだ。人間の大きさにおいては世界はニュートン物理学が通用して整合的に見えるが、それは量子の大きさや宇宙の大きさでは通用しない」みたいなことを言っていた。人間の大きさにおいてのみ、量子力学や相対性理論を知らなくとも、物理学が成り立つ(ように見える)ということなのだろうか。
この3つでいえば、私たちは人間の大きさで生き、人間の大きさで悩んでいる。「宇宙の大きさから見れば人間の悩みなどどうでもいい」という人がいるが、それは量子の大きさから見ても同じこと。人間の悩みはただ人間の大きさでのみ意味を持つ。

(2026年6月13日)

全ての人間に価値があるということは、自分がどんな状態になっても価値があると信じることでもある。

(2026年6月20日)