定年間近になると会社でも同年代との会話の中に老化の話が出るように成りました。

老眼はもっと若い頃から話には出ていましたが、これは誰しもなるものだし老眼鏡を掛け始めるので周りからも分かります。

 

周りも知っているのでしょうが話題にならないのが「躓き」です。段差があるとか物を置いているところで躓くのは分かります。年を取ると平坦な道で躓くことが出来るようになります。躓いてから振り返っても何もありません。不思議そうな顔をして立ち去るしかありません。事務所でそういう事があっても周りから「年ですか?」と声を掛けられる事もありません。

 

ところが同年代でこの話が出ると、ほぼ全員が経験者です。原因に関してもそれぞれ一家言あります。共通しているのは本人が意識しているほど足が上がっていないという事だと思います。

この変化は徐々に起こります。それにどの段階で躓くかは分かりません。老眼ほど明確には分からないのです。

 

体力の衰えは他にもあります。歩く速さです。50歳の頃はトレッドミルで時速7Km以上でも歩くことが出来ました。これはどの速さまで歩くことが出来るか調べた時の記憶です。8Kmでは続ける事は無理でしたが7Kmなら20分以上歩き続けました。

しかし今は時速6Kmで走らなければ無理になります。

現実にはこんなに早く歩くことは無いので実用域での歩行に差があるようには思えません。しかしリミットを調べれば明らかに落ちていることが分かります。

 

同じ様に記憶力も落ちています。固有名詞が出てきません。会話では指示代名詞を多用します。ところが指示代名詞だらけでは会話があらぬ方向に向かうこともあります。

昔茂木先生がアハ体験というのを言っていたと思います。思い出したり気づいたりする体験が脳に良いと言うのです。小さなことでも良いのでこのアハ体験をしようと日々パズルに取り組んでいます。効果があるかどうかはまだ実感できていませんが、間違い探しパズルを毎日やっています。

 

年を取ればいろいろと退化していくことは当然のことだと思っています。これに抗うか受け入れるかは考え方次第です。理屈上は抗わなければ老化は進むと思いますが、抗うことで老化に対して必要以上に恐れおののく可能性もあります。抗いながら老化を楽しむ事が出来れば幸いではないでしょうか?

 

自分の老化を楽しむこと、それに抗うことを楽しむこと、それも大切なことだし引退後の時間がふんだんにある状況だからこそ楽しむことの出来る事だと思っています。