他者の言論の自由を疎外することなしに、自己の言論の自由を貫き得ないことの理由は、個々的な要因の中によりも、より多く階級社会そのものの中に客観的に存在している。
もし、自由を言い得るとすれば、個人の恣意の中にのみ心情として可能である。当の自由とは恣意性であるが故に、なんら正当化すべき規準が存在することはなく、すべての人間が主張し得るものといえよう。
言論の自由と言うのは勝手、ただ振り返ってみるべきは単なる自己主張に過ぎず、誰も制約はできない。しかし、誰でも言論の自由は持っているので、その自由を侵害されることも、侵害することもあり得ないと言うことだ。