気がつけば 3月ですね 早いものです

 

 

2023年4月 義理のオヤジさんが 息苦しさを訴え

 

病院へ検査に行った 

 

わたしら夫婦は まさかの コロナ? っと 思いつつ

 

検査結果を待っていたところ 肺に水が溜まっているらしく

 

それを抜かなければならん との事が伝えられた 

 

その量 まさかの 2リットル ・・ 

 

一気に水を抜くと肺がつぶれるから っと 入院対応。

 

なんで水なんか溜まるんだろ? っと 疑問に思っている中 

 

病院から呼び出しが ・・

 

告げられたのが 肺がん ステージ4  

 

 

ハンマーで 頭をぶっ叩かれたくらいの衝撃が走りました 

 

 

その後 治療方針等を決め 治療開始 っが ・・

 

半年が過ぎたころから どんどん痩せ始め 

 

食欲も落ち 点滴でカバーすることが増えてきて 

 

もう見てられなくなり

 

高たんぱく、高カロリーの栄養補助食品を探したり 

 

食べて良い物 ダメな物など調べて 隣県にある病院へ

 

毎週末、カミさんや娘と一緒に届けに行った。

 

年末が近づいたころ 一時帰宅して良い っと 医者から言われたが

 

恐らくそれは 最後の帰宅であろう事が オヤジさんから見て取れた 

 

2023年12月28日 一時帰宅 

 

わたしはその日が仕事納めだったので 翌日 実家へ行くと決めていたのだが

 

帰宅したその日に 体調悪化により 救急車で病院へ搬送

 

容体が落ち着いた 30日 病院へ 

 

体には 最初入院した時より明らかに増えている・・チューブが ・・

 

トイレで泣いた。

 

 

年が明けた 2024年1月3日 兄弟たちと連絡を取り 

 

みんなで病院へ  

 

苦しそうにしているが 話はできるくらいになってはいたので

 

少し話をしたのだが さすがに 「 頑張ってください 」 とは 

 

言えず 


オヤジさんが 良くならないと うちの庭の木が鬱蒼としちゃって

 

困るから 頼むよ って 言うと 「 おう 」 っと 答えてくれ

 

また 涙が流れるのでした ・・

 

翌週、1月8日 カミさんと長女を連れ病院へ 

 

カミさんと長女がトイレに行った時、オヤジさんから 

 

「 どむ坊、悪ぃな 大事に生きろ なっ! 」 っと 言って

 

その後 痛み止めの薬のせいか オヤジさんは眠りについた 

 

帰りの車の中、あの言葉がずっと浮かんできて 

 

どういう意味だったんだろ? ・・・

 

 

そして 2024年1月12日 金曜日

 

わたしは いつも通り会社へ 

 

朝の会議が終わり 自分のデスクに戻った時 カミさんからLINE着信

 

恐る恐る見てみると 一番見たくない文字が浮かんでいた

 

「 じーちゃん危篤、帰れる? 」 

 

車に飛び乗り 隣県の病院へ 

 

正午前 病院につき 病棟を駆け上がると 

 

おふくろさん、カミさん、義妹、義弟 が既にいて 

 

それぞれ 最後の挨拶を終えたようだった 

 

看護師さんが体を奇麗にしてくれてるから 終わったら会ってきて

 

っと 言われ 少し待って 病室へ 

 

体からチューブが抜かれ 眠るように横たわる親父さん

 

腕には点滴の痣が多数残り 痛々しかったが 

 

顔は眠るような穏やかさだった 

 

体に触れると まだ 暖かく ホントに亡くなってるの? 

 

 

わたしは 「 おつかれ様でした 」 っと 

 

声を絞り出すのがやっとで 人目をはばからず泣いた 

 

 

1月12日 その日のうちに オヤジさんは 念願だった自宅へ帰宅 

 

兄弟たちと今後の事について話をし

 

実家に泊まるから 家のことよろしく っと 

 

カミさんから言われたので 

 

ひとまず帰って 明日 娘達と一緒に来るよ と 帰宅

 

翌日、娘達と実家へ行き オヤジさんと対面したのだが 

 

その時も まぁ今でもそうなんだが ホントに亡くなったのか?

 

って気持ちが強いのです ・・

 

 

納棺の日、納棺師さんには 本当によくしていただきました

 

簡易的な風呂でしたが お湯で体を洗ってもらって 

 

好きな服を着せてもらい 大好きな酒も入れてもらって

 

好きなだけ吸って と 煙草も一箱入れました

 

 

翌週 1月17日 オヤジさんは荼毘に付されました

 

とうとう オヤジさんも 空に行ってしまったな 

 

数時間前まであった肉体がなくなり しっかりとした骨を見て

 

あー もう いないんだな ・・ っと 

 

半分 納得した気持ちになりましたね

 

 

 

75歳って まだまだ これからだったんじゃねぇの? ・・・

 

 

 

 

2024年2月25日 49日法要、納骨 

 

オヤジさんの 父母が眠るお墓に 納められました 

 

献杯の挨拶を義弟に頼まれましたので 

 

「 明るく、楽しく、にぎやかな事が好きなオヤジなので

    湿っぽくならず 明るく送ってあげましょう 」 っと 

 

言ってはみたものの 言った本人が 涙ぐみ 

 

ツッコミが入りましたが おかげで 場が明るくなったので まぁ よし。

 

 

その後 久しぶりに 義弟と義妹の旦那と 3人で酒を呑み 

 

その席で 「 大事に生きる 」 について 話しました 

 

大事に生きる すなわち 家族を仲間を幸せにするためには 

 

自信が大事に丁寧に生きていく事 そして 

 

たまに こうして 集まって いろんな話をしていく事 

 

そんな 事なんじゃないかなぁ っと 結論づけたのでした 

 

 

 

今でも 実家に行けば 

 

「 おう なんだ どむ坊! 酒でも飲みに行くか? 」 っと

 

笑って家から出てきそうではある。

 

なので なんとなく 実家に行きづらい ・・・

 

 

 

 

 

喪失感が今でも半端ない 

 

わたしがそうなんだから カミさんは さらに感じているはずで 

 

娘達だってそうだ 

 

でも 死は 森羅万象、生き物には必ず訪れるもの 

 

乗り越えなければならないんですよね 

 

 

それを 払拭するものが 時間なのか または違うものなのか 

 

まったく分からないが

 

感情をきちんと表に出し それを受け止めるようにしていきたいですね

 

 

 

 

 

ではでは。