社会主義と共産主義の違いって? 縄文時代や弥勒の世に似てる? | オッサンの独り言

オッサンの独り言

若い頃、日本の業務形態に合わず海外転勤を志望して駐在から早20年。前職を辞めて10年目、海外駐在20年、昨年50歳になり色々と変化する一環で2024年にブログ再開

早いもので、2017年から7年以上もベトナムで生活させて頂いている。

 

 

先日、ある会話の中で「社会主義って共産主義と一緒でしょ?」って言われ、違うと理解できるのだが、正確に何が違うのかが分からなかったので調べてみた。

 

 

「共産主義」(デジタル大辞泉-小学館 より)

1 財産の私有を否定し、生産手段・生産物などすべての財産を共有することによって貧富の差のない社会を実現しようとする思想・運動。古くはプラトンなどにもみられるが、現代では主としてマルクス・エンゲルスによって体系づけられたマルクス主義思想をさす。

2 マルクス主義で、プロレタリア革命によって実現される人類史の発展の最終段階としての社会体制。そこでは階級は消滅し、生産力が高度に発達して、各人は能力に応じて働き、必要に応じて分配を受けるとされる。

 

 

「社会主義」(デジタル大辞泉-小学館 より)

1 生産手段の社会的共有・管理によって平等な社会を実現しようとする思想・運動。空想的社会主義・共産主義・社会民主主義など。

2 マルクス主義で、資本主義から共産主義へと続く第一段階としての社会体制。各人は能力に応じて働き、働きに応じて分配を受けるとされる。1917年のロシア革命により、1922年に世界初の社会主義国家としてソビエト社会主義共和国連邦が成立したが、硬直化した官僚体制への不満などから1991年に崩壊した。

 

 

分かるようで分からないのだが、言葉の違いを見つけて言うのであれば、

共産主義:「各人は能力に応じて働き、必要に応じて分配を受ける」

社会主義:「各人は能力に応じて働き、働きに応じて分配を受ける」

 

 

分かりやすく言うと、共産主義では必要に応じて収入を受け取り、社会主義では働きによって収入が異なる、という事だろうか。

 

 

現在、ベーシックインカムなどの話題が出る事があるが、ベーシックインカムなどは共産主義の考え方に近い気がする。ベーシックインカムは生きていく上で必要最低限の所得とみなされるのであれば、「必要に応じた分配」という事か。

 

 

逆に、社会主義は「働きに応じて」分配されることから、各個人の能力や資質に伴って支払いがなされる事になるのであろう。

 

 

ここで、共産主義の「階級は消滅し、生産力が高度に発達して」という言葉を読み解くと、現在のAIや科学技術が大きく発展し、生産力は高度に発達する事が予測でき、階級が消滅するとは、いわゆる肩書や地位が消滅する、という事か。

 

 

すなわち、巷で賑わいを見せている「縄文文化」であったり、争いのない「弥勒の世」であったりは、選択肢を含む共産主義という事なのだろうか。

 

 

いずれにせよ、戦後資本主義に突き進んだ結果、社会構造や霊性にひずみが生じ、霊神としての天命を忘れ、自己の精神成長を伴わないままに技術を発展させ、富の独占による貧富の差を生み出し、そういった社会現象の責任を追及する人、いわゆる「他者への依存体質な人々」と、少し富を保持したことにより肩書や階級に執着を持ち、人間の持つ強欲なまでの物質的な「無への恐れを持つ人々」を作り出したような気がする。

 

 

多くの人々は、テレビで「時代の寵児」として扱われる物質的な成功者を祭り上げるような報道に振り回され続け、本屋ではいわゆるHow To本が目立ち、自らを鑑み内なる本心や個性と向き合うのではなく、答えを外側に求め続けた結果、それらの波に乗れない人間は失格者であるかのような目で見てしまう。

 

 

悲しい事は、それが今後の人生豊かな若年層にまで広がりを見せ、人との相違を素晴らしい個性として尊重するのではなくイジメの対象として捉え、それを戒め説くる大人もいない事こそが最大の罪であろう。

 

 

なんて偉そうなことを最近はよく考える。

 

 

ものすごく幸せな家庭に生まれ育ち、ただ、特別な能力もキャリアも持ち合わせない自分は何ができるのか。

 

 

何もしなくていい。生きているだけでありがたい。

 

 

生かしていただけることに感謝。

 

 

感謝。