昨日から出張でホーチミンにきている。

 

 

ホーチミンには有名な日本人街があり、そのまわりには夜になると小さな子供がガムなどを売りに深夜まで徘徊している。

 

 

本当に小さな子供などは深夜になると疲れ果て、歩道に止めてある多くのバイクの隙間で地べたに横たわり、本当に無垢な寝顔をして寝ている。

 

 

道路で寝ている子供を横を多くの外国人が行き交い、飲食店で気分を良くした者、帰路に就く者、次の店を探す者など、様々なのだが、誰一人として子供の寝顔に気づく者はおらず、自分の欲望のままに歩いている。

 

 

多くの外国人には日本人も含まれ、そんな行き交う人を見ていると、少し悲しくなってくる。

 

 

そのまわりには日本人の為に用意されたカラオケ店なども多くあり、決して聖人君子でもない私もカラオケを楽しませて頂くのだが、精算の際には働く女性へのチップとして500,000 VND(約2,500円程度)を支払う。

 

 

そんな気分を良くした外国人の一人になって歩いていて見た光景に衝撃を受け、少しでも何かできないかと思い、近くのコンビニで少しの暖かい食料と飲み物を購入し、お裾分けさせて頂く事にしている。

 

 

そんな話を他の駐在員の方や現地のベトナムスタッフに話すと、不思議に思うかもしれないが、多くの場合は「それは良くない」と言われる。

 

 

周りにはその子供たちの両親がおり、その背後にはマフィアがいて、全てのお金を巻き上げているので、決してそういった子供や老人からガムや小物を買ってはいけない、という事らしい。

 

 

確かに言っている事は正しいので、だから、私はお腹だけでも満たしてもらえるよう、お金ではなく食べ物を買ってお裾分けさせて頂いている。

 

 

そんな説明をしても、ほとんどの場合、帰ってくる言葉は「自己満足」だとか「最後まで面倒を見れない」だとかである。

 

 

そうだよね。これは自己満足。なので、別に他人に理解される必要なんて全くない。勝手に自分で自分の為の自己満足としてやっている事。そもそも間違いなのが、私が他の人に言う必要さえ全くない。

 

 

暖かい食べ物をお裾分けした時、そのお母さんが「ありがとう」と言ってくれた際の心から感じる喜び、自分も今の一瞬は人の役に立てるんだなぁって、心の底から湧き上がる、生きている感じを共有したくて話すんだけど、どうも伝わらない事がほとんど。

 

 

そんな自己満足を満たすため、今晩も欲望にまみれた街を帰路に就く。

 

 

どうか街行く人々が自分の欲望だけではなく、少しでいいから街の小さな花にも目を向け、心の隙間や寂しさを満たしてくれる花に感謝できるようにと願う。

 

 

今日も本当にありがとう。

 

 

感謝。