東京。不思議な街である。
長男は、自分の未来を描こうとして東京に出てきて、結局倒れた。
わたしは昔、就職して東京で1年間寮住まいの研修生活を送ったが、時間の流れについて行くのが難しく、大阪生活より1.3倍のエネルギーが要った。
今回の東京行きは、表向きは俳句のイベントがメイン。午後が表彰式と懇親会で、招待するなら交通費くらい出してくれと思うが、自腹である。
しかも、午前中は靖国神社で俳句を作るのがノルマ。靖国なんて一生行く気はなかったのに。まぁ、参拝はしないからいいか。
この話は別に秘密でもないが、聞かされた人があまり快くならないと思う。なので、戦争の話とか嫌な方は、スルーしてください。
なんで靖国神社に参拝しないのか。
わたしの父の事があるから。
わたしは父の顔も名も知らずに育った。
父親の愛など本当に分からないので、「自分が本当は父にされたかったように息子を育てた。」
だから基本的に溺愛で甘やかしである。
妻のことがあるので、あまり言いたくないが、ほぼ父子家庭同然に育てた。
話がそれたが、わたしは父親への愛情は無い。明確に無い。
だけど、唯一の血縁として、人として外れた振る舞いをすると自分が許せなくなってしまうので、介護と看護は最期まで勤めた。すごく大変だった。
まだ話がそれているが、父は職業軍人だった。学徒動員兵とそんなに歳は違わないのに、何故か立場は上だったようだ。
靖国神社は、ご存知のとおり、「お国のために命を散らせた英霊を神として祀る」ところである。
NOと言えずに、命令されるまま、外国の方たちの命を粗末にする行為をしたという点では、まったく同じなのである。
かたや、死んだら靖国に神として祀られる。
そして父のように生きて帰国した者は、東京裁判にかけられ、長い間刑務所に送られた。
両者の何が違うのだろう❓
「民はお国のために生き、そして散れ!」
そんな価値観が当たり前であり、美徳とされた。
それから80年近くも過ぎ、今の日本はどれだけ変わったのだろう。自分と周りの命を大切にできるようになったのだろうか。
靖国神社で俳句を作る・・・
技術的な問題というより、メンタル的にかなりキツイものがあった。
誰のために、何をどう表現するべきなのだろう。
今回東京で、靖国神社に行く前日も当日も翌日も、酒浸りに近い状態だったのは、ひとえにわたしの弱さ、未熟さではある。
お付き合いいただいた皆様、心からありがとうございました。
自分のことは自分で分からないけれど、リアルれすとをご存知無い方には、「何だか気難しそうで、怒らせたら怖そうな(美味しんぼの海原雄山みたいな)人」ってイメージを持たれがち。
今回お会いできた方からは、「すごく話しやすくて穏やかな方ですね」と、社交辞令にしてもそう言っていただけて、とても嬉しかったです。良い人と言われるより、面白い人と言われたい。ブログはついつい難解な表現をしたり、エラそうな態度になりがち。
わたし自身が、良い人よりも面白い人と一緒に居たいから。
長男も同じ考え方だった。
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さて、今回の記事冒頭の、
東京。不思議な街である。について。
東京は夢を奪う街。
東京は別れを仕組む街。
生きた人を丸呑みして、
抜け殻を吐き出す残酷な街。
だけど東京は夢のかけらを拾う街。
東京は出会いをはらむ街。
空に還った者たちがつながって、
明日への光を届けてくれる優しい街。
もういいやと毎日諦めかけても、
また東京で笑って逢いたい人が居るなら。