ヒトの体内時計(サーカディアンリズム)は、25時間だと思っていたが、研究結果では24時間11分らしい。ただこれも個人差があるようだ。いずれにせよ、なぜ24時間以上なのかという理由は、はっきりはしないものの、地球の自転時間が伸びつつある影響ではないかという説がある。
この体内時計を24時間にリセットするには、目覚めの「光」が必要である。太陽光を浴びるのが一番。さらに、体内時計が狂ってくると、ガンになりやすいという研究があるので、夜更かし型の人は気を付けた方がよさそう。
わたしは極端な朝型人間だが、途中覚醒がひどくて、今は①グリシン+②ラフマ+③クロセチン+④乳酸菌(ピルクルミラクルケア)を飲んでいる。以前はバレリアンを飲んでいたが臭いのがイヤ、セントジョンズワートを飲んでいたこともあるが、あれは抗うつ作用がある気がするが逆にコワい、ギャバやテアニンは穏やかだがさっぱり効かない、トリプトファンも効き目が分からない、カモミールやラベンダーはただの気休め等、いろいろ試してきた。
寝つきは良いのだが、夢見がとても悪いので、毎晩寝るのが怖い。なぜこの人が出てくるの?というような、表層意識や記憶からはすっかり抜けていた人たちが次々現れる。運動して疲れようが就寝時間をずらそうが同じことである。
なので、朝は晴れていたら日光を浴びて、新しい一日をいただきますという気持ちで深呼吸する。
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長男の墓にある霊誌には、二十三才寂と彫られている。満年齢で言えば21歳だが、数え年で誕生日前だったので、2歳分多い。これを見るたび、何ともいえない気持ちになる。
「寂」は、仏教的には涅槃の境地に入ることを意味するようだが、やはり「寂しい」。そして、「せめてあと二年は生きられたのでは?」とも思う。そういい出したらキリがないけれど。
わたしは自分の年齢を、数え年で言うことがある。数え年というのは、受胎した時からいのちが始まると考え、出産時には1歳となり、そして1月1日が来るたびに1歳ずつ年を重ねるという発想である。
正月から誕生日までの間は2歳分、誕生日から大みそかまでは1歳分、おまけの命を与えられたという気になる。
正月は「月を正し、年が改まる」ということである。年のリセットである。わたしは、「今年一年の命をいただく」というふうに捉えている。だから遺族にとっても、正月は有難いことだし、気持ちを含めて何事もリセットするチャンスだと思うようにしている。
クリスマスは、特に何も感じない。(イエス・キリストにお世話になっている実感がほとんど無いから。)
年末は墓参りに行って、残された日々を大切に過ごすという思いを新たにしよう。
カバー写真は、俳句の吟行で訪れた、大阪市中央公会堂で開催中のクリスマスイラスト展の作品の一つ。この建物を寄贈(多額の寄付)した岩本栄之助は、建物の完成を待たず、辞世の句を残して、幼い子を置いて39歳で自死した。辞世の句の短冊、
その秋をまたで散りゆく紅葉かな
も展示されているが、とても綺麗な字で、まっすぐ芯が通っているのが印象的だった。