今年の夏は暑すぎて長すぎたこともあり、急に秋になっても体が付いていけない感じがするが、そうだ長男の誕生日の頃だと思い出したら、何だか過ごしやすい、懐かしい感覚が蘇る。
特別、何かをするわけではないのだが、明日が燃えるゴミの日ということもあって、魚を買いに出る。鯛が安かったので買う。マジックソルトを振ってグリルで焼くのが手っ取り早いけど、庭のローズマリーが伸びすぎているので、ソテーにしよう。
鯛に軽く塩コショウと小麦粉をまぶし、ローズマリーを鯛の周りに敷いて、オリーブオイルとバターとニンニクで焼き目を付けてから、白ワインを注いで蒸し焼きにする。(白ワインの代わりに料理酒を使う場合は、仕上げにレモン汁数滴を振る。)
長男の好きなひと皿だった。
今、市から3万円の助成金が出るので、冷蔵庫を買い換えて、さっき届いた。今の家に引っ越した年、長男が小学校3年の時から21年間使ってきた。
学校から帰宅した長男は、いつも冷蔵庫を開けてはおやつとか今晩の食材を確認していた。
旅立った日は、父ちゃんが帰るのが予定より1時間遅れて、冷蔵庫にはおやつも軽食も無かった。
もう、何でも人生最後だという気持ちでいる。冷蔵庫を買うのも、これで人生最後だし、阪神タイガースの優勝を味わうのも、もう今後20年間は無いだろうから、人生最後に違いない。
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動物園吟行なんて、それこそ20年以上ぶり。今からだと1月号掲載、11月下旬の投句になるので、晩秋か初冬の句として詠む。俳句の季節感は、いつも先へ先へと急ぐ。動物園に行くのも人生最後かもしれない。
秋の日や白襟鶴の喉赤く
隼の虚空見つめて雁渡し
死者の日や梟は首傾げつつ
化かす気の失せて狐の日向ぼこ
むささびの親子巣穴に顔重ね
鰯雲いつも潤める麒麟の眸
冷まじや動かぬ鰐は乱杭歯
縞馬の色なき背に銀杏散る
ライオンの餌桶乾びて暮の秋
帰るべき森なき虎や初紅葉
生誕何年とか、没後何年とか、そういうのは高名な芸術家とか学者とか宗教家とか、社会的影響の大きな人しか伝わっていかない。
だけど遺族としては、会ったこともない「偉人」より、一緒に月日を過ごした家族の方が、はるかに意味がある。
だからいつまでも、いなくなった子の歳を数える。
30歳って、而立って言うのだったか(数え年なら既に去年だったけれど)、独り立ちの目安とされた年齢である。親離れ、子離れをいつまでも寂しがるのは、この世を生きていく上では甘えなのだろうけれど。