天気は思っていたほど悪くはなかった。

 句友と誘い合わせて鎌倉の寺へ、師の墓参り。

 

 かつての句友でもあり、師の娘さんであるS子さんが数年前に逝去されたことは存じていたが、このたび神学博士でもある彼女が天に召される最晩年に、教会で俳句の指導をされており、その60余名による合同句集をいただき、敬虔な句の数々、追悼文などにも接して、感ずるところ大だった。句の巧拙を語る以前に、神への溢れ出す感謝に圧倒される。


(S子さんは、わたしの母と同じく、卵巣がんだった。病も神の思し召しということで、治療を固辞し、天命の尽きる時を待ったとのこと。そういう話はたまに聞くけれど、実際真似のできることでは無い。)


    信仰の力はすごいと思う。が、わたしには残念ながら無い。

 

 ただ、俳句もそうだが、わたしたちは先人から託されている。その「事実」を忘れてはならないと思う。

 

紫陽花や民郎ねむる浄妙寺

紫陽花や雨呼ぶさまにふくらめり

銅屋根のゆたかに受けて五月雨るる

住職の留守長きとも不如帰

本堂へ苔のきざはし閉ざしをり

六月のコスモス揺るる浄妙寺

五月雨の果てて紫君子蘭

磯鵯や瓦礫うづめし公園に

夕凪ぎて街のにほひのシーサイド

パラボラの日傘で眺むクルーズ船

出航の汽笛をよそに海猫(ごめ)群るる

「人形の家」は鉄骨梅雨曇

異人墓地水母ただよふ水路越え

帰化紫陽花門鎖解かれし異人墓地

神さびて外人墓地に夏つばめ

ペリーより百八十年(ももやそとせ)の橡の花

青蔦の井戸や仏蘭西領事館

晒井をライトアップに蔦茂る

梅雨茸をそだてて椨(たぶ)の太き幹

噴水の音のいざなふ薔薇園へ

サルビアをはべらせ止まる噴水も

ちひさきは蓼の囲める霧笛橋

梅雨の丘登ればテニス発祥地

芝刈るや明治は遠き競馬場

ジョギングを見放(みさ)き無聊の通し鴨


    午後はミーティング?と海沿いの散策、そして9年前に長男と食事をした中華街の店で懇親会。

    ポピーさん、kahoさん、皆さん、ありがとうございました。


    思えば、事後日が浅い頃は、オフ会で楽しそう(に見える)ブログなど目にすると無性に腹が立ったものだ。同時に淋しかった。

    時薬など無い、そんな話は信じないし聞きたくない!とやさぐれていたあの頃から、随分変わったなとは思う。その分、心身のエネルギーそのものがかなり落ちた。


    できれば毎年お会いしたいな。


    歩いていると、「力を合わせてこの未曾有の危機を乗り越えよう!」などというポスターが目に入る。あまりにバカらしくて一瞬、疲れを忘れた。


あぢさゐや日々が未曾有の余生かな


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