昨夜は、原宿で開催された「北山茶会」に参加してきました。
北山耕平さんという方を今回初めて知りました。
"聞く人 書く人 訳す人 話す人 伝える人 本を編む人
Also Known As Smiling Cloud."と紹介されています。
お話の仕方が、
「編む」という表現にぴったり。
長いながい時間におきたたくさんの出来事
数百年の時を超えて、地理的制約を越えて
この夜に、出会い、繋がり、紡がれる『話』
お話は、ネィティブ アメリカンとの出会いとその交流での
体験が中心でした。北山さんが出会ったメディスン・マン
「ローリング サンダー」の話は
まるでお伽話のような・・・と思っていたら、
日常的な(恐ろしい)迫害の現実を前提にした話もあって
息苦しくもなりました。
この息苦しさ。
アルジェリア独立運動の思想家・精神科医 フランツ・ファノンの
著作を読んだときの感じ。
或いは、「琉球処分」であるとか、当時の日本が率先して選んだ歴史。
「迫害」の歴史を知ることは、常に気持ちを重くするものだけれど
とりわけ、先住民への「迫害」は、「被害者」としての怖れの意識と
同時に、自分自身の「加害者」の側面にいやがおうでも向き合うことに
なるので、かなりキツイ・・・。
金曜日の夜に
どーしてこんなに厳しい体験しているのだろーか
と、ひとり蒼ざめはじめて。
たとえば、アフリカの大自然において
「弱肉強食」は大原則としてあり
ライオンがシマウマを襲うことを「迫害」とは言わない。
が、「文明化」を(仮に)原則とした「西洋」が
「新大陸」で行ったことは、明らかに「迫害」である。
そして、「キリスト教」はそこで有益なツールとして用いられていた。
極めて個人的な体感なのですが、
キリスト教のそういった「機能」に触れると
ものすごい恐れと罪悪感に襲われます。
*****************************
「正しい夏至の迎え方」が茶会のテーマだったのですが、
なぜだか「水」にまつわる話やエピソードが多かったです。
参加されていた方の感情が揺さぶられていたということ
なのでしょうか。
Mark AkixaさんのNAフルートの演奏も、あの場にぴったりでした。
コヨーテの声ではなく、山手線の通過音が伴奏でしたが
「ああ、私は(sedonaではなく)東京に住んでいるんだな」
と妙に腹くくる気分を高めて・・・。
そして、冒頭に演奏された「雨乞いの歌」の効果は迅速で、茶会の間に
雨が降り始めていました。
・「水である自分」と「自分の内側の水」を感じること。
・「雨乞いの歌」の"使い方"・・・この事はまた書きたいと思います。
北山耕平さんという方を今回初めて知りました。
"聞く人 書く人 訳す人 話す人 伝える人 本を編む人
Also Known As Smiling Cloud."と紹介されています。
お話の仕方が、
「編む」という表現にぴったり。
長いながい時間におきたたくさんの出来事
数百年の時を超えて、地理的制約を越えて
この夜に、出会い、繋がり、紡がれる『話』
お話は、ネィティブ アメリカンとの出会いとその交流での
体験が中心でした。北山さんが出会ったメディスン・マン
「ローリング サンダー」の話は
まるでお伽話のような・・・と思っていたら、
日常的な(恐ろしい)迫害の現実を前提にした話もあって
息苦しくもなりました。
この息苦しさ。
アルジェリア独立運動の思想家・精神科医 フランツ・ファノンの
著作を読んだときの感じ。
或いは、「琉球処分」であるとか、当時の日本が率先して選んだ歴史。
「迫害」の歴史を知ることは、常に気持ちを重くするものだけれど
とりわけ、先住民への「迫害」は、「被害者」としての怖れの意識と
同時に、自分自身の「加害者」の側面にいやがおうでも向き合うことに
なるので、かなりキツイ・・・。
金曜日の夜に
どーしてこんなに厳しい体験しているのだろーか
と、ひとり蒼ざめはじめて。
たとえば、アフリカの大自然において
「弱肉強食」は大原則としてあり
ライオンがシマウマを襲うことを「迫害」とは言わない。
が、「文明化」を(仮に)原則とした「西洋」が
「新大陸」で行ったことは、明らかに「迫害」である。
そして、「キリスト教」はそこで有益なツールとして用いられていた。
極めて個人的な体感なのですが、
キリスト教のそういった「機能」に触れると
ものすごい恐れと罪悪感に襲われます。
*****************************
「正しい夏至の迎え方」が茶会のテーマだったのですが、
なぜだか「水」にまつわる話やエピソードが多かったです。
参加されていた方の感情が揺さぶられていたということ
なのでしょうか。
Mark AkixaさんのNAフルートの演奏も、あの場にぴったりでした。
コヨーテの声ではなく、山手線の通過音が伴奏でしたが
「ああ、私は(sedonaではなく)東京に住んでいるんだな」
と妙に腹くくる気分を高めて・・・。
そして、冒頭に演奏された「雨乞いの歌」の効果は迅速で、茶会の間に
雨が降り始めていました。
・「水である自分」と「自分の内側の水」を感じること。
・「雨乞いの歌」の"使い方"・・・この事はまた書きたいと思います。