有名なイソップ寓話。
~Wikipediaよりあらすじ紹介~
ある時、ウサギに歩みの鈍さをバカにされたカメは、山のふもとまでかけっこの勝負を挑んだ。
かけっこを始めると予想通りウサギはどんどん先へ行き、とうとうカメが見えなくなってしまった。
ウサギは少しカメを待とうと余裕綽々で居眠りを始めた。
その間にカメは着実に進み、ウサギが目を覚ましたとき見たものは、山のふもとのゴールで大喜びをするカメの姿であった。
幼いころに聞かされる寓話のひとつです。
(今の小さい子もイソップ寓話に触れるのだろうか?)
この話の教訓は何なのか?
私は、このように理解していました。
「能力があっても、自信過剰になり、油断してはならない」
作者が何を伝えたいかは別にして、物事を解釈するのは自分です。
私は、幼いころは自分を優秀だと思っていました。
勉強・スポーツ・芸術など、何をやっても普通の人より優れている。と勘違いしていたのです。
要は、自分をウサギに投影して物語りを聞いていた訳です。
『つーか、カメはどんなに努力したって、油断しないウサギには勝てないって事じゃんか』と。
(結果、努力を怠り、敗者となっていく訳です。それでも意味不明な自信はありましたが)
同じように、自分は人より劣っている。と感じていた少年少女は
「能力がなくとも、継続して努力しつづける事の重要性」と学びとったかも知れません。
大抵の人はどちらも理解しながら、どちらか片方を自らに当てはまる教えとして受け取ったのではないでしょうか?
しかし、もう一つの解釈があります。
「目的を見失ってはならない」
ウサギの目的は、カメに勝つこと。(ゴール前で嘲笑う事だったかもしれません)
カメは、ゴールするのが目的でした。
本来は、ゴールする。という行為が目的で、
相手より早く。というのは目標だったのです。
ですから、目的を見誤ったり、そもそも目的が無い状態は避けるべきです。
もっと早く、この解釈が出来ていればと思うと、悔しくて仕方がありません。
そんな解釈を一度したからと言って、頭で理解するのと、感情で捉えるのは話が別ですね。
時折思い出し、自らの境遇によりウサギかカメに共感する。
『ウサギの立場で教訓を得るか』
『カメの立場で希望を得るか』
この感情は、現在の己を映す鏡になるのです。
しかし、どちらかに肩入れしてしまう状態は良く無い。
上手く物事が進んでいる自らを戒めるケースでも無ければ、
不遇な自らを慰めるものでもないのだから。
目的は、原理原則。
~Wikipediaよりあらすじ紹介~
ある時、ウサギに歩みの鈍さをバカにされたカメは、山のふもとまでかけっこの勝負を挑んだ。
かけっこを始めると予想通りウサギはどんどん先へ行き、とうとうカメが見えなくなってしまった。
ウサギは少しカメを待とうと余裕綽々で居眠りを始めた。
その間にカメは着実に進み、ウサギが目を覚ましたとき見たものは、山のふもとのゴールで大喜びをするカメの姿であった。
幼いころに聞かされる寓話のひとつです。
(今の小さい子もイソップ寓話に触れるのだろうか?)
この話の教訓は何なのか?
私は、このように理解していました。
「能力があっても、自信過剰になり、油断してはならない」
作者が何を伝えたいかは別にして、物事を解釈するのは自分です。
私は、幼いころは自分を優秀だと思っていました。
勉強・スポーツ・芸術など、何をやっても普通の人より優れている。と勘違いしていたのです。
要は、自分をウサギに投影して物語りを聞いていた訳です。
『つーか、カメはどんなに努力したって、油断しないウサギには勝てないって事じゃんか』と。
(結果、努力を怠り、敗者となっていく訳です。それでも意味不明な自信はありましたが)
同じように、自分は人より劣っている。と感じていた少年少女は
「能力がなくとも、継続して努力しつづける事の重要性」と学びとったかも知れません。
大抵の人はどちらも理解しながら、どちらか片方を自らに当てはまる教えとして受け取ったのではないでしょうか?
しかし、もう一つの解釈があります。
「目的を見失ってはならない」
ウサギの目的は、カメに勝つこと。(ゴール前で嘲笑う事だったかもしれません)
カメは、ゴールするのが目的でした。
本来は、ゴールする。という行為が目的で、
相手より早く。というのは目標だったのです。
ですから、目的を見誤ったり、そもそも目的が無い状態は避けるべきです。
もっと早く、この解釈が出来ていればと思うと、悔しくて仕方がありません。
そんな解釈を一度したからと言って、頭で理解するのと、感情で捉えるのは話が別ですね。
時折思い出し、自らの境遇によりウサギかカメに共感する。
『ウサギの立場で教訓を得るか』
『カメの立場で希望を得るか』
この感情は、現在の己を映す鏡になるのです。
しかし、どちらかに肩入れしてしまう状態は良く無い。
上手く物事が進んでいる自らを戒めるケースでも無ければ、
不遇な自らを慰めるものでもないのだから。
目的は、原理原則。



