子供の時からダイエットを繰り返し、現在41歳となりました。
日々の食べてるものを人様に晒せば食べる量が減るのではないか、自分で見直した時に気付きかあるのではないかと目論み、ひたすら食べたものを記録していこうと思います。
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前回のブログで30すぎてからの写真はのせましたがそれ以前のデブ歴自己紹介をさせていただきます
昔の写真はないので残念です。
【小2〜高校生まで】
うちは実によく食べる家族で小学生の時から肥満児でした。
家族は両親のみの一人っ子。
母はかなりの料理嫌いで、家族分を小分けにして出すというような食卓ではなく、3人分だったらパスタ1.5袋を寸胴鍋で一気に茹で、マ・マーとかのパスタソースを2種類くらい温めて上からぶっかけ勝手に取り分けて食えスタイルでした。
ほっかほっか亭が近所にあったのでよく利用してました。
私はいつも焼肉弁当スペシャル(焼肉とかウィンナーとかエビフライとか唐揚げとかのったやつ)を選択していて、それプラス、チキンラーメンかサッポロ一番塩ラーメンが1食のご飯でした。
小学生の時からです。
家族3人でパン屋にいくと食パン2斤と菓子パンを山盛り買ってました。それが家族の1食分です。
母と父は食パン1斤ずつと菓子パン2個ずつほど食べ、私は菓子パン5個ほど食べてました。
くどいですが1食で。
ちなみに餃子の王将は私は1人でカニ玉丸々1個と餃子3人前を食べていました。
もちろんそれだけではなく焼きそば・炒飯・唐揚げ・麻婆茄子は家族でシェアして適当にとって食べる感じでした。
ちなみにおやつに関してはおやつの時間が設けられていたとかではないのですが、朝・昼・夕食以外の時間にお腹がすいたらチキンラーメンかサッポロ一番塩ラーメンか日産焼きそばか冷凍のお好み焼きかを作ってもらって食べてました。
もちろん一人前です。半分だけ食べるとかはありません。
ケーキを買いに行った時などは家族3人で10個ほど買ってました。
家に帰って1人2個食べ、それとは別に2個ほど家族3人で分け分けしながら食べて残りは別の時間に私が食べてました。
仰天ニュースにでてくる方々にありがちなご飯にマヨネーズかけて5合食べるとかはしてないですがまー決して通常とは言えない食べ方をしていましたね。
これで太らないわけはない。
小2から太り始め、その頃から身体測定が恐怖でした。
当時の体重測定は女子と男子に分かれてるだけで人権の配慮なんて全くなく、女子一列に並ばされ体重計むき出しの状態で声高々に体重を読み上げられてましたもん。
デブへの天罰ですよね。
それで、当時流行ったリンゴダイエットとかしたもののリバウンドして更に太ってました。ありがちな話です。
ダイエットをするとしたら極端なダイエットを高校生まで続けてましたので痩せるどころかリバウンドしてしっかりデブでした。
男子って中学生くらいまで通り過ぎざまに「デブ!」とか「豚!」とか言いますよね。
なんなんですかねあれおかげで男子怖かったです。
小中の体重は覚えてないですが高校生の時は75キロ前後をウロウロしてました。
ちなみに身長は165cmです。
【大学生時代】
当時は読モブーム真っ只中。
2年生の時にバイト先の人に一目惚れし、当時流行っていた可愛ゴー(わかる方いらっしゃいます?)ファッションの女になりたくてかなり本気でダイエットしました。
朝は食べたいものを食べたいだけ食べ、昼はカロリーメイト1袋(一箱2袋なのでその半分です)、夜は豆乳のみ、運動はダンベルとストレッチを合計30分くらい。
三ヶ月程頑張って69キロから58キロになりました。
見た目はちょいポチャでデブではない感じになりました。
まぁもちろんデブやちょいポチャの感覚は人それぞれですが、手厳しい母と友人の評価でいうと「デブではない」といったもの。
しかし、3年生の時に失恋しやる気をなくしてあっという間に68キロに。
うわ!ヤバい!と思って始めたダイエットが精神を蝕みました。
それまではお腹が空いても恋のパワーで乗り切れていたのですが目標を失ってただひたすらに己の食欲と闘うだけとなったんです。
苦痛でしかありません。
夜は豆乳しか口にしてないのでお腹が空きすぎて寝れなくなり、内科で睡眠薬を処方してもらったのが最悪でした。
その1年後私は強制的に心療内科を受診させられることになっていました。。。
食べてないはずなのに何と体重は78キロになっていて太りすぎた私をゼミの先生が心配したからなのですが、なぜ心療内科なのかというと私の身の回りで謎の現象が起きている話をゼミの先生にしてたからです。
何が起きていたのか。
続く…