大学院の指導教官は研究に本当に厳しくて、たぶん韓国一厳しく、論文が書けない人が多かった。私もそのうちの一人で、単位はすべて取り、卒業試験も合格したけど、論文がどうしても書けなかった。

 

元々、私は人付き合いが苦手なのもあり、言動にも行動にも厳しい教授とはどうしても合わなかった。

 

なので、論文を書かずにフェードアウトしてしまったのだが、論文を書かないと決めたら、ストレスがなくなり、すっきりしたのを覚えている。

もちろん、論文を書きませんとは教授に報告できずに去ってしまったのだが・・・

 

一応、大学院生時代にお世話になったので、教授の退官式には出席した。

 

それから、10年後、突然の訃報のメッセージ。

 

後で知ったが、そのメッセージの主は教授の携帯からだったのだ。

私は大学院時代が辛すぎて、新しい携帯に登録していなかった。

 

教授は私のことを忘れずに、番号を登録していたのだなと。

本当に申し訳ないことをしたのだなと、涙が。

 

こんなダメな学生だけど、最後にお詫びの挨拶はしたくて、葬儀場へ。

 

葬儀場の病院は花が綺麗に咲いていて、花が大好きだった教授らしい時期に旅立ってしまったんだなと。

 

 

教授はお酒もたばこもしない、エネルギーに溢れている方なので、長生きすると思っていたのだが、膵臓がんという予後のよくないがんになってしまった。

 

偉大な方なので、この世で多くのことを残したから、すぐに去ってしまったのかなとか、せっかちだからかなと。私の父の時もそうかなと思った。

 

ただ、恩師(お世話になったので、今になってはこう表現したい)は娘さんたちに手紙を残していたそうだ。娘さんたちは最期を看取ることができなかったそうだが、それだけが救いだっただろうなと。恩師は難しいと感じていたのかもしれない。

 

葬儀場では大学院時代の同期と後輩たちに会えた。

恩師との昔話に花が咲き、奥様から恩師の最期について聞くことができた。

 

想像していたが、非常に敏感な性格なので、奥様とは別々に暮らしていたと。

だから看病が大変だったと。麺類が大好きで、うどんを作ったが、口に合わないと言われと、ちょっと愚痴が入っていたが、あ~そういうところも恩師らしいなと。

 

麺と言えば、授業終わりにコンククス、よく連れて行かれたなと。美味しかったなと思い出した。

 

遺影はこの写真にしてほしいと、奥様にカカオで送っていたそうな。

その写真はいつもいつもいろんなSNSなどや紹介で使われる恩師が大好きな写真。

この写真をすごく気に入っていたようだ。

 

気難しい性格の恩師だったが、偉大な研究家だったので、慕う人は多かった。退官後の余生は研究所という住処で詩やエッセイを書いて、作家として活動していたそうだ。そこでも慕う人は多く、凄い人だったんだなと。

 

去る者は追わず来る者は拒まずの恩師。

去ってしまった私だが、今更ながら、多くのことを気づかせてくれた。

とにかく出来の悪い私だが、今となっては恩師に申し訳なさと感謝でいっぱいだ。

 

ごめんなさい。そして、ありがとうございました。

 

急がず、ゆっくりと休んでください。

恩師のご冥福をお祈りいたします。