■記録を作ったジブリ

95年、スタジオジブリは、長編第11作、宮崎監督5年ぶりの完全オリジナル作品となる「もののけ姫」の制作に入りました。実は「もののけ姫」は企画そのものが冒険でした。いまどき流行らない時代劇、製作費が従来の倍の20億円、そしてライバルは「ロストワールド・ジュラシックパーク」。普通に考えたら回収は不能です。しかし、時代劇は宮崎監督長年の念願であって彼の年齢やスタッフ編成などを考えると作るなら今しかない、という状況でした。「もののけ姫」の企画には関係各社の誰しもが不安を覚えましたが、最後にGOサインを出したのはやはり徳間社長でした。足かけ3年がかりで製作したこの作品は97年夏に公開されるや関係者の予想を遥かに超える大ヒットとなり、あの「E.T.」を抜いて、それまで日本で公開された邦画・洋画すべての映画の記録を塗り替えました。

「もののけ姫」は単なる映画の枠を超えて社会現象になり、多くのメディアで様々な人が、この作品について語り合いました。もちろん世間のいたるところでも話題になり、ジブリの名前を広く認知させることになりました。

 

続きがありますが次回の記事にて説明致します。

 

 

 

 

■ジブリの特徴2

95年の夏に公開された「耳をすませば」では、宮崎がプロデューサー・脚本・絵コンテを担当し、これまで「火垂るの墓」「魔女の宅急便」「おもひでぽろぽろ」のジブリ作品で作画監督などを担当してきた近藤喜文が初監督に挑戦するという新しい布陣を敷きました。また「デジタル合成」を採用することで、制作現場へのデジタル技術導入を加速させるきっかけにもなりました。思春期の爽やかな出会いを描いた「耳をすませば」もその年の邦画No.1になりました。

その後、「もののけ姫」では初めてデジタルペイントを採用し、完成後には社内に本格的なCG部を設立。その後、CG部はデジタル作画部と名を変えて、「ゲド戦記」まで映画制作に大いに貢献しました。しかし、その後は、作画方針の変更もあって、CG部は縮小され映像部に吸収されて現在に至ります。

ちなみに現在スタジオジブリに社員として所属するのは、制作系のスタッフとして作画・デジタルペイント・美術・撮影・映像・音響制作・演出・制作部門があわせて約100人、事務系のスタッフとして業務・出版・商品・海外事業・イベント・管理部門・その他で50人の合計計150人です。こうやって比較するとおわかりのように、その3分の2が映像を作る作業に関わるスタッフです。ジブリ作品は他のスタジオに比べるとコスト高だという話を繰り返ししてきましたが、映画制作に必要なほとんどの作業を社員スタッフでまかなっていることが大きく影響しています。このことが、良質な作品を作り続ける上で大きく貢献している特長なのですが、見方を変えると弱点のひとつだといえるかもしれません。

 

 

■ジブリの特徴

1993年、ジブリはコンピューター制御の大型撮影台を2台導入し、念願の撮影部を発足させました。こうして、作画から美術・仕上・撮影に至るまでの全部門を持つスタジオに成長したわけですが、これは、分業が極度に進行している日本のアニメーション業界とは完全に逆の方向です。これまた、同じ場所で緊密に連携しながら一貫して作業を進めることが作品の質の向上につながる、という理由からです。

この93年、初めてテレビ向けの作品も制作しました。「海がきこえる」です。監督は当時34歳の望月智充。高畑・宮崎以外の人間が初めて担当したわけです。制作スタッフも2〜30代の若手を中心に編成、「早く安くうまく」を合言葉に制作に入ったのです。この70分のテレビ・スペシャルは、一定の評価は得ましたが、結局予算とスケジュールを大きく超過してしまいました。テレビはジブリの今後の大きな課題です。

1994年の高畑監督作品「平成狸合戦ぽんぽこ」は、またもこの年の邦画No.1となりました。「おもひでぽろぽろ」以降に採用したジブリ育ちの若いアニメーターたちが作画の中心を担い、大いに力を発揮してくれた作品です。また、「平成狸合戦ぽんぽこ」で、ジブリは初めてCGを導入しました。このときは3カットだけでしたが、今から思えば、これが後のCG室設立につながる流れの始まりでした。

 

次回も引き続き説明致します。