その他に、千台だとこれこれだが、一万台まとまればいくらいくら、といったような、そういうのはあります。それに、引き渡しの期日ですね。
 彼らは、支払い方法と、ボリュームと、デリバリーの三つを組み合わせてやってくる。勘定高いというか、インセンシティブというか、資本主義に徹しているんです。
 これが日本人だと、そうはいかない。「あなたのお父さんと、私のオヤジは、よく知っていたんですよ」などということにでもなれば、「そうですか。それじゃ今度は、勉強させていただきましょう」と、すぐにこれでしょう。勉強なんて言葉、どうにも翻訳のしようがないじゃありませんか。

 ニューヨークから日本を見ていて、ゴチョウ氏の気にかかるのは、企業の“温情主義”だという。
 年の暮れを前にして、彼の会社で働いていた日本青年が、アメリカ人経営のディスカウント・デパートメントのセールスマンとして引き抜かれた。
 ところが、そのデパートの書き入れどきであるクリスマスが済んで、数日たった金曜日の朝、出勤して来た同僚の一人は、その週の分の小切手を受け取ったその場で、「もうこなくていい」とクビを言い渡された。
 それが皮切りで、金曜日のたびごとに、セールスマンがクビになって行く。それも、成績の上がらない順にである。
 十人いた仲間の六人目が消えた日、たまりかねた彼は、ゴチョウ氏のところへかけこんだ。順番からいって、次の金曜日に彼のクビの飛ぶことが、ほぼ確実になったからである。

 便所掃除でもいいから、といいましたけど、私は断りました。
 こちらでは、金曜日の夕方に「ハブ・ア・ナイス・ウイークエンド(いい週末を)」と挨拶するでしょう。そしたらボスは「シー・ユー・マンデー(月曜日にまた)」といいますね。これで、彼は来週も働けるという保証が得られたことになります。
 金曜日の朝、地下鉄に乗っているサラリーマンで、「今日出て行ったら、チェックを渡されてそれきりじゃないか」という不安を持っていないのは、一人もいないんじゃないですか。
 東京へ帰るたびに、スシ詰めの電車で思うんですが、スポーツ紙かなんか拡げていて、みんな天下泰平の顔をしている。逆に東京あたりでは、自分のクビを心配している人間は一人もいないんじゃないかと、そんな気がしますね。

 ゴチョウ氏に会ったころはそれほどでもなかったが、このところ日本も不況で、倒産は少なからざる人々にとって、他人事ではなくなって来ている。
 経営難の企業では、希望退職者をつのったり、一時帰休を言い渡したりで、急場をしのごうとしているが、倒産のぎりぎりまで、解雇はしたがらない。
 だが、アメリカでは、業績が悪化したら首切りというのが常識であり、そのためにサラリーマンは、ふだんから貯蓄をしている。
 業績がよかろうが、わるかろうが、季節がくれば毎年賃上げなどという結構な会社は、それこそただの一社もない。