我々の平和と友好関係は永久に守られるであろう!

 

 

少し先の話ですが

来年の春、なんとなんと

エジプトから、あの御方!

王の中の王、そうです、

ラムセス二世が来日!

されるそうです~!

 

Ramesses II - World History Encyclopedia

 

題して「ラムセス大王~

ファラオ達の黄金」キラキラ

 

美術ナビによれば

「エジプト政府

考古最高評議会の協力で、

古代エジプトの180点以上の

貴重なコレクションが

アジアで初公開される」

のだそうです。

 

かの巨大なアブ・シンベル神殿↓を

建設するなど、古代エジプト史上、

最も長く統治した第19王朝

(紀元前13世紀)のファラオである

ラムセス2世に焦点を当てた展覧会

 

アブシンベル

日本では古代エジプト

と言えば、まず、ツタンカーメン、

それにクレオパトラ、ですが

 

ともかくラムセス二世展の監修者である

ザヒ・ハワス氏によれば

「日本人のみなさんにとって

ラムセス2世は、ツタンカーメンや

クレオパトラ

よりも知名度が低いことは

知っています。

 

(因みに、同族結婚を繰り返した

(愚かな)プトレマイオス朝の

(土台プトレマイオス程度が

王になるなんておこがましい)

この御方は、マケドニア系で、

クレオパトラとは

マケドニアの女性の名前。

エジプト人ではありません)


 

しかし、ラムセス2世は

『王の中の王』であり、

彼らは足元にも及びません」

 

それはそうですよね?

アレクサンドロス大王だって

エジプト文明には大変

尊敬を払っていました。

 

彼はペルシアの文明も

インドもそうですし

ユダヤの宗教にも

あらゆる宗教には尊敬を

もって対していました。

 

まあ、言ってしまうと

プーチン政権と一緒なわけです。
 

「考古学者人生において

本展は最も優れた?展覧会です」

と述べられたそうです。

なんといってもアジア初だそうで

(でも大王のミイラは来ないのね?)

 

そのラムセス二世ですが

有名なのはそのミイラや

180cmの長身、20で即位し

果敢に外征を行い

征服王として名を馳せ、

 

その治世は70年近くに及び、

100人以上の子供をもうけ、

90歳前後の長寿を全うしたとされる

歴代ファラオの中でも

超ヒーロー的存在。

 

正しく「大王」の名に相応しい

人物だったのですね?

 

そしてラムセス2世と言えば

かの「カディシュの戦い」

(BC.1286頃)

後の和平条約が有名ですが

 

アブ・シンデル神殿にある

カデlシュの戦いでのラムセス2世

 

凄く美しい作品ですね!

 

 

Wikiによりますと、それは...

 

「書面のよる明確な物証を伴った

最初の平和条約であり、

紀元前1285年頃のカディシュの戦いから

16年後に、エジプトのラムセス2世と

ヒッタイトのハットゥシリ3世の間で

正式に結ばれた」そうです。

 

「エジプト文字(ヒエログリフ)と

楔型文字による、ヒッタイトー

アッカド語で記された、

条約の複製2通が作成され、

いずれも現存している。」

 

とは凄いです、凄すぎませんか?!

 

ラムセス二世

 

Wikiによりますと

粘土板にはこう書かれているそうです

 

「古の時より、エジプトの偉大なる主と

ヒッタイトの偉大なる王に関し、

神々は条約によって、それらの間に

戦争を起こさせなかった。

 

ところが、我が兄、

ヒッタイトの偉大なる王、

ムワタリの時代、

エジプトの偉大な主と戦ったが、

 

しかし、今日この日より、

見よ、ヒッタイトの偉大なる王、

ハットゥシリは、

エジプトとヒッタイトのために、

ラー神とセト神が作った、

恒久的に戦いを起こさせないための

条約に同意する。

 

――我々の平和と友好関係は

永久に守られるであろう。――

ヒッタイトの子とその子孫は

偉大なる主の子とその子孫の間も

平和であろう。なぜなら、

彼らも平和と友好関係を守って

生きるからである。」

 

トルコのハットゥシャから

出土した楔型文字の粘土板は

1970年より、そのレプリカが、

世界最古の和平協定として

平和を理念とする国連本部ビルの

壁面に飾られいるそうですが、

 

今や国連も嗤うべき奇奸である

ことが明白になってしまって

おりますが

 

wikiによれば、

「政治面でも影響力を有していた、

二人の王の后たち、

ハットゥシリ3世の妃プドゥヘパと

ラムセス2世の妃ネフェルタリは、

 

王たちよりも盛んに書簡を交わし、

双方の働きかけにより、

ハットゥシリ3世はハットゥシャで

条約文を起草して、エジプトに送り、

それをラムセス2世の書記官が審査した。」

 

とあります。

 

最近では、和平交渉以外なら

どんなことでもしそうな

某国の女性政治家たちに

古代のお后様達の良識を

少しは、見倣って欲しいものですが

 

 

ロシアとウクライナ間の

和平交渉文書も、古代の

エジプトとヒッタイトに負けず

是非再開し、再度交渉を再開

そのためにこそ、日本も動いて

欲しいものですね。

 

それこそ核爆弾を二度も落とされた

日本の使命。

 

核を持つことではなく

9条を持つこと(伊藤貫氏の言では

不公平を)それを逆手にとって

開き直りましょう!

 

鈴木宗男氏の仰るが如く

「停戦あるのみ!」です

 

 

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(新ベルリン博物館蔵)

 

 

ロシア・ウクライナの和平文書も

将来このようにトレチャコフ美術館に

保管されるのでしょうね。。。

 

必ずや来るだろう、未来の和平

今から見据えて、

恥かしくない行動をとる

 

ラムセス二世とハットゥシリ3世に倣い

日本もそうありたいものだと

思わせられた来春の

「ラムセス大王展」のニュースでした。

 

それにしてもラムセス2世

ハットゥシリ3世の娘さんを

妻に迎えたのも、一目ぼれ恋の矢

されたためだったとか、

古代のロマンですね?ラブラブ