父祖の伝統を裏切らず、自らの文明を守る!

 

 

先日のレニングラード包囲解放

60周年記念式典コンサートですが

この24年間のロシアの発展を

まざまざと思わせる

素晴らしいものでした。

 

プーチン大統領と

盟友、ベラルーシの

ルカシェンコ大統領が

冒頭に大変力のこもった

挨拶を行なわれ

 

ルカシェンコ大統領が

直接ロシアで、ロシア市民達に

語りかけられることは

滅多にないことで、

 

プーチン大統領よりも

大きな拍手と歓声が

巨大なガスプロムアリーナを

埋めた大観衆から上がっていました。

 

 

「我々ロシアは

父や祖父達の世代の

為した事柄を

決して裏切ることはない。」

 

と誓うプーチン大統領に

続いたルカシェンコ大統領

 

「若い世代には何故国を

守らねばならないのか?

という傾向もある。

私達は平和を求めてやまない。

しかし、自らの国を文明を

守るためには闘うことも

辞さない」

 

そう語る盟友に

滅多に見せない

とっておきの

信頼の視線を向ける

プーチン大統領

 

本物の顔でした

 

ソ連に生まれ、ソ連時代に

青春を過ごし、そして

激動のソ連崩壊を受けて

独立し、連合国家となった

ロシアとベラルーシを率いて

西側との協調路線をとりつつ

 

NATOの東漸には一歩も

退かずに国を守らんとする

盟友でもあり、ライヴァルでもあり

喧嘩もすれば、いざという時には

背中を併せて背後を守り合う

そんな二人の個性的なリーダーは

ソ連時代を知らぬ若い世代に

その困難と苦労の歴史が

既に遠い昔になってしまった

若い世代に、ガスプロム

アリーナで繰り広げられた

西側諸国のどこよりも

圧倒的で芸術的で豪華な

パフォーマンスの中で

 

過去からの歴史の遺産を

引き継ぐ重要性を

身をもって知る故

力強く語られていました。

 

実際それは驚くべき

パフォーマンスでした!

 

黒川紀章氏の遺作とも

云われているこの

ガスプロムアリーナの

収容人数は8万人!

 

舞台上には世界的な

名ヴィオラ奏者の

ユーリー・バシュメット氏が

率いる全ロユースオケが並び

 

彼らが演奏する

ショスタコーヴィチの第7番

 

1942年独軍のレニングラード

侵入と同時に演奏された

この曲「レニングラード」

レニングラードっ子の誇り

 

ウラル音楽学校の卒業生である

ヴラッド君によって

スネアドラムのリズムが

刻まれる中、

包囲戦中の手記が

読み上げられていきます

 

それは感動的で圧倒的な

演出でした!

 

(全ロユースオケでの

ヴラッド君とキリール君)

 

wikipediaによれば

レニングラード防衛司令官の

ゴーヴォロフ中将は、巧な戦略で

歩兵を守り、また

レニングラード市内の交響楽団

全面的に支援。

 

孤立した都市では、

交響楽団の演奏が兵士や市民の

心の支えになっていたそうです。

 

その事をよく心得ていた中将は

演奏を妨害する独軍の砲撃に対対抗

突風作戦を開始、

演奏前にドイツ軍の砲兵陣地を

徹底的に砲撃で叩い、

市内にスピーカーを設置し、

兵士が演奏の中継を

聞けるようにしたのだそうです。

 

こうしたゴヴォロフ中将の

取り組みは、兵士の士気を

劇的に回復させた。

とあります。

 

そしてエルミタージュ美術館でも

独軍の侵入と同時に全ての

所蔵品をウラルに向け送り出し

空になった額縁だけの

展示室を、あたかも美術品が

あるかのごとく、兵士達に向け

館員達がガイドをしました。

 

「総統はサンクトペテルブルクを

地表から削りとることを決断した。

ソビエト・ロシアの敗北後は、

この都市が将来に存在する理由は

跡形もなくなる。

 

この都市を隙間もなく封鎖し、

あらゆる口径の砲火と

絶え間のない空爆によって、

これを跡形もなく破壊すべし。

 

たとえこれによって

降伏を要請する声が

出てくるようになっても、

これは拒否される。

 

この戦争においてわれわれは、

たとえ一部にせよ、

この大都市の人口を

維持することに

関心を持っていない。」

 

このH総裁の命は

市民の不屈の精神によって

阻まれました。

 

トロイアも陥ち、

ローマも陥ちても、

100万の餓死者を出しつつ

レニングラードは

陥ちませんんでした!

 

 

そして包囲の解放とともに

やってきた汽車を顕す

(模してのではなく本物!)

汽車がステージに現れ

封鎖を破って初めて

市内に食糧を履くんだ

トラックも登場!

 

その周囲では花火のごとくの

ライトパフォーマンスが

音楽に合わせて

繰り広げられるという

圧倒的な演出の

一大フェスティヴァルには

現在のロシアの実力が

まざまざと現れており

 

その芸術的センス

ドラマティックな構成は

日本でも、世界のどこでも

到底できるような

ものではない、と

感じました。

 

ロシアは変わりました

圧倒的に力強く、

豊かに、伸び伸びと

 

 

でも、私には

それでも、そうであっても

貧しく、物がなく

モノトーンだった、あの

モスクワ、

 

ちょっと哀し気で

広大な空き地のあった

あのモスクワが

懐かしく思い出されます

 

あの時出逢った

素朴で暖かな人々、

今は亡き人々

 

そして出世し成功し

今のロシアの生活を

十分に楽しむ親友達

 

それでも、あの若き日の

乏しく暗く広大なモスクワで

共に過ごした日々が

懐かしく思われるのです

 

4州併合のスピーチで

もうソ連は存在しない

そして、戻りつもりもない...」

と語るプーチン大統領の言葉を

聞いていたとき、

 

ソヴィエト社会主義共和国連邦

その略称を発音する声音に

 

そこに生まれ、

生きてきた世代の

ノスタルジーが

かすかに感じられ、

思わず胸に迫るものが

ありました...

 

今のロシアには

ソ連時代になかった

全てがあります。

 

ただ一つを除いては

 

それは貧しく乏しい

大変な生活だった故に

より切実に、有難く

感じられた人の温かさ

 

プーチン、ルカシェンコ世代に

生れ育ち、先代の苦労を

知らず育ってきた

新しい世代からは

もはや失われてしまった

ロシア(ソ連)の

素朴な温かみと

大きな人間性です

 

それはあたかも

コンピューターが

我々の生活に入って

各段に便利になったと同時に

 

喪われてしまった人間力、

人と人との関係

人の力でしかできなかった

ものが、クリック一回で

可能になる社会から喪われた

何かにも似ているような

気がします

 

 

全てを手作りし

創造するほかなかった

モスクワの親友達も、

今はほぼ全てを買えるように

なっています。

 

何でも有る時代になり

そして彼らの生活も

変わりました。

 

プーチン、ルカシェンコ

両大統領は、ソ連時代を知り、

良きも悪しきも体験した

最後の世代

 

共に成し遂げた

この20年の発展を誇り

更に前進を続けながらも、

 

ソ連時代の苦難の経験を忘れず

悪しき部分を削り落とし

良き部分、大きな人間性と

自国の不屈の歴史を

次世代により豊かに刻み

伝えていこうと

努力されているように

思えます。

 

かつてソ連は世界最大の

犠牲を出して独ナチスと

闘いましたが

今再び、合衆国が扇動した

新対ナチス戦を

強いられています。

 

しかもかつては共に戦った

兄弟ウ国を傀儡にされて

 

しかしレニングラードの記憶を

持つロシア、そして

連合国ベラルーシが

膝を屈することは

決してありません

 

ソ連からロシアへ、

連合国家へと、

遂にここまで発展したか!と

つくづくと感じさせられた

大式典でしたクラッカー

 

終了と同時におこった

スタンディング

オヴェイション...

 

ロシアとベラルーシの行く手に

どうか幸ありますよう虹