ウラルにも桜の幻影を

 

今日はロシアの

ウラル国立音楽院附属

音楽専門学校(現カレッジ)

で学ぶ

 

ロシアの若者

キリール・シプーノフ君

18才の挑戦について

書いてみたいと思います。

 

 

キリール君は現在12年生、

友人であり、ライヴァル

でもある同年のエゴール君と

打楽器クラスの

最上級生になりました。

 

キリール君が寒いウラルで

打楽器を始めたのは

9才の時です。

 

故郷のウラルの中心都市

エカチェリンブルクは

以前にも書きましたが

 

ヨーロッパとアジアの

丁度境目に位置しています

 

人口は150万、

ロシア連邦の首都モスクワ

からは飛行機で2時間、

電車だとペテルブルク

へのように特急赤い矢号が

ないので、一昼夜かけ

 

ゴトゴトと、のんびり

ボルガ河を渡って

シベリア鉄道で

行くことになります。

 

エカチェリンブルクは

モスクワ、

サンクトペテルブルクに次ぐ

第4番目の都市で

 

近くでは第2代ロシア大統領

ボリス・エリィツィン氏の

故郷として、

 

歴史上では、ロマノフ朝

最後の皇帝となった

ニコライ2世とその一家が

流刑後に銃殺された

場所としても有名ですが

 

1977年、イパチェフの家は取り壊された。写真提供:TASS

イパーチェフの館、

スヴェルドロフスク・

国立フィルハーモニーの隣です!

 

 

今は高層ビルも聳える

近代的な大都市に

生まれ変わっていますが

 

私が暮らし働いた頃

1990年代の初頭は

良く伊藤貫氏が述べられる

ハイパーインフレ期で

 

食べ物は危機的になく

お湯も3週に一週は出ず

厳しい寒さと相まって

非常に困難な時代でした

 

街にはマフィアが横行

皆が窓には鉄格子を

とりつけていました。

 

途方もなく寒くて

暗くて、荒れ果てた

そんな感じの街でしたが

 

プーチン政権の20年で

すっかり新しい近代的な街に

生まれ変わりました!

 

フィルハーモニーの音楽祭にも

ヴァイオリニストの

庄司紗矢香さんや

指揮者の井上道義氏など

日本の音楽家が何度も

出演しています

 

ソ連時代はウラル工業地帯として

鉱山資源と機械工業で名高く

 

文化では、ウラル地方に伝わる

豊かなフォークロア伝統を誇り、

民族楽器の伝統でも有名です。

 

戦後初のカラー映画になった

”石の花”の伝説もウラルです

 

こちらは黒を背景にした

民芸品パレフの美しい細密画

 

石工のダニーラが

鉱山の女王に地下に国に

連れていかれてしまう

”雪の女王”と同じような

お話ですが

 

孔雀石の産地として有名です

蜥蜴が銅山の女王なのです

 

 

プロコフィエフの曲で

バレエでも有名ですね?

 

銅山の女王のソロ

 

でもウラルはとっても

とっても寒いです

湿気のある寒さが溜まらず

女性は皆毛皮の頭巾のような

フードを被っていました。

 

真冬のエカチェリンブルク)

 

ナナマカマド

ロシア語でいうレビーナが

赤くなったら、その冬は

寒くなる、と言われていますが

今年はどうでしょうね?

 

 

 

キリール君は

そんなエカチェリンブルクの

第16音楽学校で打楽器を始め

地域のコンクールで入賞し、

 

13才の時、同市の

ウラル国立音楽院附属、

音楽専門学校

ウラル音楽カレッジ!に進み、

更に本格的に打楽器を

学ぶようになりました。

 

(ウラル音楽院附属音楽学校=カレッジ)

 

1943年創立の

ウラル音楽院附属

音楽学校(現カレッジ)は

ソ連時代から現在まで、

全ロシア中で8校だけの

音楽と普通教育が全額無償

 

卒業生の100%が将来

プロの音楽家になるという

ロシアでも名門の

国立音楽専門学校です。

 

そこでキリール君は

打楽器クラスの名教師

リョーニャ・クミーシェ先生と

出逢うことになります。

 

日本でもGWに有楽町の

フォーラムで行われる

恒例の一大音楽祭

ラ・フォル・ジュルネの

常連オケとして、

 

日本でもファンが多い

ウラル・フィルの首席

打楽器奏者だった

リョーニャ先生は

 

オーケストラで長年活躍

傍ら、若い頃から

ずっと母校の打楽器科で

教鞭をとって来られました。

 

(先生70才記念

コンサートのちらし)

 

その温かで熱心な人柄からも

生徒からはまるで

”お父さん”のように

尊敬され、慕われている

リョーニャ・クミーシェ先生は

 

偶然なのですが、親友が

共通だったことから、

私の30年来の旧友です。

 

リョーニャ先生の

愛情豊かな指導の許、

線が細く神経質そうだった

キリール君も、すくすくと伸び、

 

 

音楽実技試験でも

常にクラス最高点を

取るようになり

 

今やクラスの代表として

リョーニャ先生からの

信頼篤い愛弟子です

 

昨年はプリゴージン氏の乱で

有名になったロシア南部、

ロストフ市フィルハーモニーに

ソリストとして客演

 

 

音楽学校は名高い

世界的なヴイオラ奏者

ユーリー・バシュメット氏が

創設した全露ユースオケの

支部にもなっている、

ユースオケもあるので

 

キリール君はティンパニーを

担当しています。

 

 

リョーニャ先生のクラス7人は、

年齢も経験も様々ですが

いつも一緒にアンサンブルを

組んで演奏しており

コンクールも一緒に出ますダウン

 

お互いを助け合い

切磋琢磨してクラスで

家族のように

まとまっています。

 

リョーニャクラス全員集合!

左から3番目がキリール君

 

特に年長のキリール君は

年少組の世話まで一手に

引き受けて大忙しです

 

まだ小さかったザハール君とは

大の仲良しダウン

 

 

クラスのアンサンブルでも

伴奏パートを受け持ちます。

 

 

 

 

クリスマスには

ハープ科にも賛助出演

 

そんなときも

パートナーの方に必ず

アイコンタクトをとったり

ちょっと頷いたり

微笑みかけたりして

 

 

キリール君のポジティヴで

明るく真面目な性格が

みてとれます。

 

成長著しいキリール君

一昨年にはリョーニャ先生から

日本が世界に誇るマリンビスト、

 

レジェンド安倍圭子先生の

”3つのモノローグ”の楽譜を

与えられ、初めて4本撥に

挑戦しました。

 

ちょっと緊張気味の

キリール君

 

そして今年夏から

現在開催中の第1回安倍圭子

国際マリンバコンクールにも

参加することになりました。

 

丁度キリール君だけが

安倍先生のモノローグ

3曲をやっていたため

セミ・プロ・カテゴリーの

出場資格に当て嵌まったのです。

 

キリール君は予選と

本選の第一次を無事通過

残るはファイナルとなりました。

 

しかし、これは

キリール君の

せいではないのですが

 

西側、とりわけ

戦前からの平岡養一氏を

始めとする、多くの優れた

音楽家を輩出した日本で

マリンバが大型化し

 

高価なローズウットの4~5

オクターヴの大型マリンバが

普及した時代は

 

ロシアはソ連時代で

経済的困難から

プラスティック音盤を

シロフォンとして早弾きする

打楽器奏者としての伝統が

ずっと続いていました

 

そのせいでしょうか

ロシアではまだ

パーカッショニストはいても

優れたマリンビストが

出ていないようです

 

マリンバの楽器自体や

バチ(マレット)の条件も

日本や西側とはまるで異なり

 

4オクターヴでも

ローズウッド音盤の楽器は

少なく、

まして家で趣味で弾く

ということもありません

 

日本でマリンバを

専門にやるのであれば

全員が4~5オクターヴの

高価なローズウッドの楽器を

ご自宅に持って

おられるでしょう?

 

色々な種類のマレットも

(撥)も入手可能です

 

コンクールともなれば

好きなだけ家で練習できる

のが普通の環境だと

思うのですが、

 

ロシアでは、まず自宅に

マリンバを持っている生徒

(学生)は皆無です

 

4~5オクターヴのマリンバを

置く余裕はないし

買う余裕もないため

全員が学校でだけ

練習しています

 

ウラル音楽学校でも

ヤマハの5オクターヴが

やっと一台入手できたのは、

一昨年になってからでした

 

先見の明のある校長先生が、

州の執行委員会に働きかけて

購入して貰ったもので

その虎の子の一台?を

クラス全員が使っています。

 

 

皆は屡々国内コンクールに

参加するため、今回も

キリール君独りが自由に

使用できる環境ではなく

 

更にはマレット(撥)の

種類も限られており、

4本別種を持って弾く

などという贅沢は

許されません、

 

マリンビストなら

何100本?も所有している

と伺ったことがありましたが

ウラルでは

「無い袖は振れない!」

 

私も、ロシアには無い

だろうことは、薄々

わかっていたのですが

恐る恐る、リョーニャ先生に

 

「4本4種のマレットを

使うそうですよ...」

とお知らせしてみたのですが...

 

戻ってきた答えは

 

「でも、こちらには

それを入手する可能性は

ないんだ、残念ながら

ヤマハもないし

(モスクワより撤退!)

あるものでやる他ないよ...」

とのお言葉でした

 

そしてあとで見せて

頂いたキリール君の

第一次本選のヴィデオを観て、

またまたびっくり!

 

安倍先生のコンクールは

誰もが自身の最高の条件で

参加できるよう

録画したヴィデオによる

審査になっています

 

いつも通り、真っすぐ

姿勢を正して、

唯一のヤマハ・マリンバの

前に立ったキリール君

 

心を整えて、さあ

真摯な表情で弾き始めます

ああ、いいですね、

なんて思いながら

一曲聴いたあと

 

あれ?、今度は脇に行き、

マレットを持ち換え

(いつも使っている

お気に入りの古マレット?)

 

おもむろに再び

マリンバに向かい

2曲目を演奏し始めて

しまいました!

 

一曲ごとに上手くできた

テイクを録画する、などと

いう欲はまるで無い!?

 

ライヴの一発撮りか?!

 

学校の皆のマリンバですから

自由には使えません

そんなキリール君の初めての

国際コンクールへの挑戦!

 

果たして結果は

どう出るでしょうか?

 

でも結果も大切ですが

そこに参加するため

安倍先生の作品に

真摯に向かい合った事で

 

キリール君の中に

今までなかった

"もっとマリンバを弾きたい"

という意欲が生まれたこと音譜

 

それが一番かもしれませんね?

 

その証拠には、11月に

サンクト・ペテルブルクで

開催される、打楽器のための

フェスティヴァルとコンクール

”パーカッション・ウェイヴ”に

 

ウラル音楽学校からは

キリール君、エゴール君、

ザハール君の、仲良し

ウラル打楽器トリオダウンが参加

することになったのですが

 


 

 

キリール君はカテゴリー中で

ソロ・マリンバを選択

ここでも安倍先生の作品で

勝負するそうですクラッカー

 

びっくり!というのは

彼らは音楽家として

プロになるために

マリンバだけではなく

 

オケのパーカッションを

学んでいるので、

シロフォンとスネアドラムとの

セットでコンクールに出ていたのです。

 

 

キリール君の安倍作品が

ペテルの音楽ファンに

どう評価されるのかも

とても楽しみですね?

 

安倍先生の作品には

西洋の作家にはない、

日本の芸術特有の、

間の感覚とでも

言うのでしょうか

 

簡潔さと閑寂枯淡の

抽象に高められた自由さ

”厳しさ”のようなものが

感じられ

 

丁度、村上華岳が

「謹厳さと自由な気格」

と「画論」で述べていた

理想のようなもの

 

それが、他国の

現代マリンバ作家にない

安倍作品の魅力なのでは

ないか、と素人ながら

思っておりますが

 

そうした

日本の芸術の心が

感じられる作品を

まだ若いキリール君が

ペテルで披露してくれるのは

嬉しいことですね?

 

”大和心ロシア語り”

 

 

それからペテルブルクの

この”パーカッション・

ウェイヴ”は、

 

障害を持つ学生や

両親が低所得の場合は

交通費、宿泊費も全額

組織委員会が負担します。

 

実はキリール君のご両親も

月額700ユーロのお月給だと

リョーニャ先生から

伺っていますが


州知事とロシア大統領の

奨学金を受給しながら

学校のユースオケや

マスタークラスに参加し、

 

クラスの代表として

伸び伸びと、活き活きと

学び、才能を伸ばしている

キリール君の姿には

 

青少年の教育にその

潤沢な国家予算を惜しまない

ソ連時代の良き伝統を

今に活かすことができる

ロシア社会の底力

感じさせられます。


 

最後にキリール君が

本選第一次で弾いた

”桜の幻影”ですが

 

安倍先生のCDや

作品解説集、また

シグニチャーモデルの

高価なマレット(撥)など

 

現在輸送手段がないため

日本からは、結局

何も送ってあげられ

ませんでした😢

 

 

でもキリール君は現状で

出来る限りのこと、

楽譜を読み込んで

彼らしく丁寧に真摯に

演奏してくれたようです

 

そんな若いウラルの生徒達の

未来の活躍にクローバー

 

非友好国日本と遠くて

近い隣国ロシアとの

関係改善への

 

細やかな

希望を託せるような

気がしています...虹