本当に”最も強い者に”だったのか?

 

今日は先日イタリアの親友

ミケーラさんから届いた

素晴らしいニュースを

お送りしたいと思います。

 

ミケーラさんは私が

子供時代からギリシアに

夢中で、中でもイリアスと

アレクサンドロス大王の

大ファン恋の矢だったと知り

 

ナポリを訪問したときに

小学生時代から長年

憧れてきた、

「アレクサンドロス・モザイク」

を観たかった私を

 

叔父上のサレルノ大の

ファリーナ先生と共に

街を案内して下さり

ナポリ国立考古学博物館に

連れて行って下さり、

 

それからも屡々イタリアから

 

今修復中のアレクサンドロス

モザイクの話題が出ると

博物館やナポリからの

ニュースを送って

下さるのですが

 

今日のエルコラーノからの

ニュースはトップ

センセーショナルです!

 

ナポリ、ヴェスヴィアス火山の

西麓にある、古代遺跡

ヘラクリウムにある

パピルスの館から

 

FullTravel.itより

 

紀元前323年、つまり

アレクサンドロスが

バビロンで病死したあと

ディアドコイと呼ばれた

彼の将軍達について書かれた

 

歴史的なパピルス

現代のハイテクにより

可読状態に戻った

のだそうです!ドンッ

 

ミシガン大学の古典学教授である

リチャード・ヤンコ氏によれば、

当パピルスは紀元79年の

ヴェスヴィアス火山の噴火で

一部が破壊されたが、

ケンタッキー大学の

可視化・仮想環境センター長の

ブレント・シールズ氏の

チームの協力で、綿密な

研究が行われたそうです。

パピルス上のインクの痕跡を探すため

コンピュータソフトが開発され、

コンピュータ・トモグラフィー

(断層映像法)による3次元画像で

古代の巻物が分析されました。

特に、ナポレオンの手に渡り、

1804年にパリのフランス学士院に

寄贈された、アレキサンドロス大王の

ディアドコイに関するパピルスは、

現在も謎に包まれたままに

なってしまっているのですが、

 

ヘルクラネウムのパピルスの館には、

紀元前110年から30年にかけて生きた

哲学者、ガダラのフィロデモスが

書いた、哲学的内容のパピルスが

約1800枚も残されているのだそうです。

 

一方、『アレクサンドロス大王の巻』は

作者不詳で、内容も歴史的なものだけに、

なぜこのパピルス文庫にあったのでしょう?


テキサスのベイラー大学の

ジェフリー・フィッシュ講師によれば、

もしかして、これはフィロデモスが

他のヘルクラネウムの

図書館?から取り出して、

返さなかったのかもしれない。

という推測もされているそうです。


これはビッグニュースですね!

 

アレクサンドロス大王の

ディアドコイに関する文献は

大王に関すると同様、

非常に少ないので、

 

どのようなことが

書かれているのか、本当に

わくわくします!

 

もしかして大王や親友であり、

帝国の宰相でもあった

ヘーパイスティオーンの

これまた若すぎる急死について

何かわかるかもしれません!

 

最後にアレクサンドロスは

その王国を、

”最も強い者に..."と

言い残した、と言われて

いますが、

 

本当にそうだったのか?

もしかして、誰か

別の者に、と言ったとか

書いててあるかも

しれませんしね?

 

このところ、早春に

アレクサンドロスの

故郷を訪問したときの

ことを屡々、懐かしく

思い出したいたので

何だかわくわくしますハート

 

流石はナポリ、流石は

イタリアですねキラキラ

 

アレクサンドロス大王が

そのモザイクを残す先として

 

東洋と西洋の文化に開かれ

寛容で、温かく、美しく

歴史的な都市ナポリを

選ばれたのも理解できる

ような気がします。

 

ミケーラさん

素晴らしいニュースを

どうも有難うございました!ラブラブ

 

 

まるで天使のような

双子のソフィアちゃんと

シモーネ君のママでもある

南伊美女の才媛ミケーラさん

 

ナポリではミケーラさんのように

国立考古学博物館から

抜け出したきたような

ギリシア・ローマの彫刻のような

美男美女に遭遇します♡