イコンを描くのは嫌だった!

 

チェーホフの

三人姉妹の中に出てくる

名の日のお祝い

 

子供の頃に読んで

名の日って何かしら?

と思いましたが

ゾーヤ伯母さんに

ある冬の日に、

聖人カレンダーというのを

見せてもらったて、

 

誕生日に近い聖人の名前を

子供につけることが多いと

伺って、ああ、これが

名の日なのか!と

思いました

 

そういえばロシアの人の

名前のヴァリエーションは

日本と比べると少ないと

思いませんか?

 

男性だったら、

クラシックだと

ワシーリー、ミハイル、セルゲイ、

アレクサンドル、ウラジーミル

など多いですし

 

女性だと、ナターリヤ、オーリガ、

リュドミーラ、マリヤ、ガリーナとか

 

聖人の日のカレンダーって

ちょっと欲しいですね♡

(持っていてどうする?)

 

何故か苦手な名前もあります

響きが古臭いかんじ

プラスコーヴィヤとか

チモフェイとか

エフゲーニイとかガリーナも

何故か苦手です

 

美女っぽい響きは

リュドミーラ、アナスターシヤ

ナターリヤでしょうか?

 

ハンサムな響きは

アレクサンドル、イリヤー

(クリアキンとは言わないですが)

ミハイル、あたりかなぁ?

 

そんな正教の美術の代表は

聖像画のイコンです

 

(名作「ウラジーミルの聖母」)

 

ギリシア正教に由来する

ロシア正教、その芸術は

独特で、馴染みやすくは

ありませんが、

 

イコンを日本人として

初めてペテルブルクで

学んだ女性、山下りんさんピンク薔薇

(1857-1939))

 

 

(wikipediaよりお借りしております)

 

ニコライ二世は

彼女の描いた独特の

イタリア風の優しく穏かな

「ハリストスの復活」が

殊の外お気に入りで

なんと、冬宮の自分の部屋に

掛けていたそうです

 

現在エルミタージュ美術館の

所蔵庫にあるこの作品は

ニコライ二世の死後

長い間行方不明でしたが

1987年にエルミタージュで

発見されました

 

 

 

(ハリストスの復活、エルミタージュ在)

 

山下りんさんは

明治に開校した

工部美術学校の

の優れた第一期生で、

イタリアの画家フォンタネージに

西洋画を学びますが

 

ロシア正教徒になり

日本伝道に一生を捧げた

ニコライ大司教により

ペテルブルグの修道院に

派遣され、日本人で初めて

現地でイコン画を学びます

 

でもりんさんの本当に

やりたいことは

西洋美術だったので

特殊なスタイルのイコン画を

描くのはとても嫌だったようです

 

エルミタージュに通っては

ラファエロなどの模写に熱中し

修道女から怒られてしまったり

とても大変だったようです

 

体調を崩して帰国したりんさんが

人生の最後まで書いたのは

でもやはりイコンだったようです

 

女性が独りで生計をたてるには

イコンを書き続けるしか

なかったのかもしれませんが

 

自分の道をいやいやであっても

貫きいた、独自の作品は

今も人々に安らぎを与え

その、西洋風な優しみのある

独自のイコンは

日本各地のロシア正教会に

あります

 

 

私もまだ観ていない

ニコライ二世献上イコン

「ハリストスの復活」は

エルミタージュに行ける時が

きましたら、是非

観てみたいものですね♡

 

きっとニコライ二世も

時代に翻弄され

危うくなる帝位への

さまざまな悩みを抱えて

 

りんさんの描いた

西洋風な優しみのある

独特のイコン

「ハリストスの復活」をながめて

癒されつつ、

ロシアの行く末に悩み

そして、祈っていたのでは

ないでしょうか?

 

私も正教徒ではありませんが

明日は、りんさんの

ハリストスの復活に

ロシアを想いながら

祈ってみたいと思います