残酷すぎる才能の見極め方 陶芸家 向いている人 箸休め 馬鹿と天才は紙一重 | 陶芸家になるには←で検索しちゃう貴方に読んでほしいエッセンス満載

陶芸家になるには←で検索しちゃう貴方に読んでほしいエッセンス満載

陶芸工房しゃちょが、物凄い勢いで為になるトピックをシェアしつつ持論を展開してぽ前らを勧誘するのをオーディエンスがひっそり覗き見るブログ

 

 

↑前回からの続き・箸休め

 

同じことやる時、それぞれの才の者が

どのようなアプローチをとるのかを解説したものです。

あまり真に受けずに「ぷぷっ」と笑いながら。。。。うぇ?笑えない?

まあ、バッサリ整理できるものでもないし、グラデーョン的なもんだとも思います。

 

世の中の半分は勘違いでできています。そしてその勘違いが天才を生みまくります。

だから、世の中には沢山の天才がいます。しかしよ~く観察してると

様々に分類できることに気が付きます。

 

そして自分の中の才を埋もれさせたままの人はもっともっと沢山います。

やはりこればかりは、運頼みだったり、磨いてみたりしないとわかりませんが。

 

一つ言えることは、子供の頃にでも大人になってからでも「片鱗」を見せます。

面接でそれを見抜くのが私の仕事でもあります。

 

これ読んで、顔真っ赤にしたり、真っ青になってる人も居ると思われますが、

決して「あなた」ではありません。その証拠に、私とあなた会ったことないですよね?

ほらね、決して「貴方」ではありませんからね!w

例え名前を挙げていたとしても、それは貴方ではなく「私の思い描く妄想の貴方」です。

 

それでは、各年代の、大小さまざまな、色々な才能をながめて来て、

私が勝手に思ってることなので、大人な方は鵜吞みにしないよね。ごっくん。

 

お題目、自分で品物、作品を作る際に、

googleで「お茶碗」などで検索して、または世の中を見渡して、より良い物を作ろう。

 

ためになる写真①▼いずれの才にせよ、得意なことを見つけるのが才能開花への道なのは言うまでもない。

 

 

馬鹿「そもそも(お茶碗)で検索すらしない、なぜなら自分の作った物がより良い凄い物だから」

造形センス 園児の粘土遊びと同じ感覚

世の中にしめる割合→5%

社会でのポジション→運頼み、基本的には指示すらされない要らないポジションにしかつけない事を「自由なポジションを与えられて特別扱い受けてる」と解釈してる。運が良いケース→大企業の次男坊に生まれ、事業は長男任せ、金と権限を与えられて、メセナ分門に隔離。ゴミのような作品を生み出し続けるも都内や海外で個展三昧。関連企業や取引先関係から嘘みたいな値段で買い取ってもらえる事をアホなマスゴミが取り上げてカリスマ芸術家扱いを受ける事も。父の張り付けたお目付け役スタッッフにセクハラしたりと自由奔放に振る舞う。生活には一生困らない。運の悪いケース→足らない我が子への責任感から公務員の父母らが子供の頃から粘土遊びが好きだったよねと骨を折り工房を立ち上げ、そこの房主におさまるも利益は上がらない。両親の年金頼りの生活苦の中、未来を案じる母父に感謝の気持ちすらなくスタッッフにセクハラしたりと暴虐無人に振る舞う。自身の作品のネットショップまで持ってたりする。母父が死んだ後の事すら想像できない。

世の中の評価→誰からも相手にされてない事に気がつかないが人生はとても楽しい。

 

鈍才「googleとか使わない方が良いっす、自分で考えるから良いんでっすとか持論を言い出したりするが単にデジタルが苦手なだけだったりする。会った事があるくらいの人を師匠と仰ぎ真似などもしてみるが真似れない。漠然と凄い物を作りたいというイメージしか持てないし、他才の作った物の違いが分からず全部がなんか上手としか見えない。」誰もがやってる作風を自分が始めたくらいに思ってたりで著作権がとかコピーするなとか言い出すわりに意匠とか著作の意味すらよく知らない。

造形センス どこまで行っても素人の域を出ない粘土細工

世の中にしめる割合→25%

社会でのポジション→指示されたこともおぼつかなかったり、過信しかなく自分流でしかやれてないのにそれがオリジナルだと思いこんでる。

世の中の評価→凡才や秀才を師と仰ぐが実はポーズだけ。しかし、空気を読むのは好きで情報弱者や素人と一緒に師を囲み幸せな良き人生を歩む。SNSでいいねをもらうのが世の中の評価だと思ってるがそんなもんに躍起になる位なら腕前を磨こうとは決して思わないなかド素人相手に陶芸教室開いたりしてる。地方新聞やフリーペーパーの取材に歓喜する。もっとも貸しギャラリーの餌食となる層でもある。

 

凡才「とりあえず検索するが、そこにないお茶碗を作ろうとしたり、真似ても劣化コピーになってしまう。師について学べはする。が、師は越えれない。そんな彼の一番の悩みは「作りたいものが実はない」事だったりして。つまりクリエイティブを職業として考えているから起るジレンマにまずは陥る。それを探すところから始めねばならない。他才の作るものの評価も師匠の受け売りなので師匠次第」

造形センス フォルムには多少なりともこだわりを持つが洗練はできないし師匠や先人の言葉を自分の言葉のように話し受け売りするのが得意技。機能面も師匠の受け売りだったりするので、とにかく師匠次第。

世の中にしめる割合→50%

社会でのポジション→指示されたことを懸命にやる事しかできない。師や先輩らを尊敬して必死に取り入ろうとするのが努力だと思ってる。努力で埋まらない分は、キャラで評価されようと幼気な根性で埋めあわせようとする。特に、天然系とか朴訥としたキャラが得意なくらいには器用。師匠や先輩からの「ポロリ」を期待して良いタイミングで傍らに居ようと努力する。誰も手を出さなくなった穴場を見つけ針をたらし続けるうちに気鋭作家に変幻したりもする。でも当の本人の気分は島流しの刑。同業者の評価に飢えている。

世の中の評価→情報弱者や素人を導き、取り巻きに囲まれて幸せな良き人生を歩む。地方新聞に載るのが得意。心は器用な方だが他才への嫉妬が滲み出てしまい隠せるほどではない。師匠の推薦でトレンド本で気鋭作家と紹介してもらえる事がある事くらいは知っているので必死に取り入り見事載る事がある。弟子とかアシスタントは基本的にとらない、なぜなら嫉妬してしまいそうな自分が怖いから。

 

秀才「お茶碗+おしゃれとかの、他ワードをのっけて検索して1~2ページ目に出てくるこれ良いなと思ったお茶碗をキチンと真似れる。作りたい物が無くともそれさせ出来てれば後はどうにかなると知っている。」実家が裕福で「若い頃世界1周しました」なんてのがポツポツいる。そうでない育ちが良いくらいだと「インド」ってのが相場。

造形センス フォルムにはトレンドを求め、機能面もコピーした元ネタ次第。

世の中にしめる割合→10%

著名人■黒田泰三(白磁作家)内田鋼一(陶芸作家)村上躍(陶芸作家)バーナードリーチ(陶芸家)ルーシー・リー(陶芸家)浜田庄司(陶芸家)手塚治虫(アニメ作家)

社会でのポジション→指示された事をキチンとやれる。マーケティングを理解して1人称で物事を考えない。指示された以上の事するのは苦手がゆえにアシスタント向きと師匠らから重宝がられてる事にも気が付いており密かに出世を期待してる。師匠や先輩からの「ポロリ」をさほど苦労せず良いタイミングで傍らに居れる。抜け目がない。良い意味でも悪い意味でも最も安定した現生向けの才能。

世の中の評価→鬼才や王才を尊敬するポーズが得意で、マスゴミや情報弱者や素人に加え、ハイカル層にも支持されるすそ野の広い美味しいポジションだが、素振りも見せずに密かに奇才に憧れたり嫉妬もできる。稀にだが地道に続けて奇才に変幻する事がある。師匠が推薦してくれて、平凡パンチ、ポパイ、カーサブルータスなどの後から読み返すとこっ恥ずかしいトレンド本の常連となれる。弟子とかアシスタントを次代に継なぎ秀才の系譜を保つことが師匠へ恩返しと心得ており、その派閥の広がりが自分達のステイタスを担保する事もよく心得てる。それが他人の褌で戦う者の他者への敬意だと納得材料にしてる。それを厭う者が1匹オオカミの奇才へ変幻したりする。当然ビジネスパートナーとしてみた場合でもそつがない。何れかのタイプを一つ選び娘を嫁にと言うならこのタイプを無難に選ぶ人が多いはず。

 

鬼才「google?なにそれ知らないっすとか言いつつ、必死に検索して200ページ目辺りにある良いなと思ったお茶碗を真似てるはずが、過ぎたるは及ばざるがごとしを地で行き、過ぎた人らに歓喜をもって評価される・・・事もあるが・・・影響力のある人の傘下故だったりがほとんど。写真写りやSNS映えにスキの無い人も多く加えて「肩書が多かったり回り道(ぐれてた事が有るなど)をした」人にこのタイプは多い。⇒(例・冒険家で陶芸家/実業家で陶芸家でメンタリスト)みたいな感じ。何もできない人との見分け方としては、3つ以上の肩書を持つタイプはかなり危うい。

造形センス フォルム以上に自分のビジュアルに興味があり、機能面という概念はない。

世の中にしめる割合→3%

著名人■川喜田半泥子(趣味人)橋本忍(ユーチューブ陶芸家)古田織部(陶芸家として)ピーターヴォーコス(陶芸家として)アンディ・ウォーホル(芸術家として)佐野研二郎(グラフィックデザイナー)

社会でのポジション→指示された事をやってたはずが、時に凄まじい成果を出したり、取り返しのつかないミスをしたりする。一過性の物や話題性しか無い物を作るのが得意。見なくなったなと思ってたら役者やってたり飲食店オーナーやってたりする。その逆もある。売れない内は、SNSで転生を繰りかえすのが得意技。実家が金持ちで親に買って貰ったポルシェとか乗り回してたりする。馬鹿才と一見被るが、馬鹿との決定的な違いがあり、それは「良い物」を見てきてるし馬鹿ではないし、世の中の序列に対する嗅覚が鋭く軽視していないところ。それゆえに、化けると良いギャラリストやカルト的人気の作家に「成る」事がある。闇落ちすると他人の良い作品を自分の作品棚に躊躇なく並べたり、平然とパクる事がある。世の中の評価→意識高い系、自己評価高い系からカルト的人気を誇ったり、一部ハイカルも加わり・マスゴミ連中から支持される。事もある。東スポとかプレイボーイとかの芸能誌とかで対談してたりと芸能界とかに人脈の広がりがある。他才への嫉妬は一切ないか、秀才や王才あたりを見下したりもする。(ここは親の教育だったりする)なぜなら自分を天才だと思ってるから。鬼才同士でつるむのが何より好きだし奇才、異才の理解者たる事もできる。弟子より信者を欲しがる。

 

王才「検索するより妻でも巨匠でも師匠でも、いけてるお茶碗を作る人の作風や才能や威光を利したりパクったりして自分のお茶碗だと提示する方がコスパが良いと心得てる。自ジャンルにも他ジャンルにも造詣が浅く、影響力のある人の言葉に頷いとけば間違いないと心得てる。王と言うだけあって「組織」を作り君臨するのが好きだが陣頭指揮よりもNo2を傍らに置きマネジメントさせて自身は鶴の一声を発するのが理想。

造形センス フォルムも機能面もコピーした物をアシスタントに洗練させる。

世の中にしめる割合→3%

著名人■村上隆(美術家)青木良太(陶芸家)ビル・ゲイツ(起業家)北大路魯山人(趣味人)

社会でのポジション→当初はかしこまってるが突然牙をむいたり、下心を悟られないようにとこうべをたれ続ける野心家。奇才ぶろうとするが一部の人には色々と見抜かれてる。指示を守るより人に指示する方が得意。同ジャンルの王才同士は衝突しやすいのでお互い近寄らないが異ジャンルだと協定をむすんだ方が得策だと心得てる。

世の中の評価→人間力の塊のように見られてる。秀才に輪をかけて、情弱や素人、マスゴミ、一部のハイカル層に支持される最も美味しいポジションだが死後の再評価で悪才呼ばわりされたりする事に怯えてる。が、むしろその反動で、生きてるうちが全てと割り切ろうと血の滲む様な努力をして孤独る。しかしやはり、常に心は満たされない。それを解消するために更に虚無を追い求めるの悪循環を繰り返す。病み過ぎると生きているうちの評価を守ろうと「転生」してでも「伝説」になろうとさえ妄想はするがやはりそれはできない普通の人。情熱大陸とかの格好の餌食。自伝とか出したがる。他才からの尊敬を集めてるのにその評価を疑い怯えてる。弟子とかアシスタントを見栄え良く搾取するがたまにトラブって業界で失笑を買う。

 

奇才(稀才)「彼には10000ページ目まで見るのとかが苦痛じゃない。それら膨大な情報の中からこれ良いなと思ったお茶碗の、さらに、元ネタを遡ったり異素材をとりいれたりと、自分流に再解釈して亜流を作る」他ジャンル(建築とか)にも造詣が深い。

造形センス フォルムや機能面に、幼少期から興味を持ってる場合が多い。そのどちらかにバランスが偏りがちだが、秀才から変幻してくるとトレンドとの中庸を求めたりしてマス層にもコア層にも支持者を増やす。作ってる時の気持ちが「良い」物を作る人も居る。

世の中にしめる割合→3%

著名人■ジミー・ヘンドリクス(ギタリスト)ニコロ・パガニーニ(弦楽器奏者)ピカソ(画家)ハンス・コパー(陶芸家)千利休(実業家)永野護(メカデザイナー)

社会でのポジション→指示された事以上の事をやってのけ、師匠らには、時にありがたがられ、うざがられる

世の中の評価→ハイカルの一部連中からは支持される。マスゴミには無視されがちだが事が済んでから突然持ち上げられたりもする。が、端っこを歩みがち。凡才以上の同業者からの尊敬の的となる。病み過ぎると早々に転生しちゃって伝説となり特に鬼才からの信仰の的になったり王才が元ネタにしたりする。たまにNHKとかの下手糞なドキュメンタリーの餌食となったり映画化されたりする。他才への嫉妬よりも異ジャンルで活躍したかったとか明後日な事で悔やんでたりする。弟子とかアシスタントが必要になる規模は厭う。基本的に一匹狼。

 

異才「良い物作ったり真似たりが簡単すぎてそこに興味を見出せない、お茶碗以外で検索し始めてしまい例えれば飛行機作ってるうちにヘリコプターを発明しちゃったりする」

造形センス 機能面をフォルムで、フォルムを機能面で求めようとする。他人任せが苦手で陣頭指揮が好き。

世の中にしめる割合→端数

著名人■スティーブジョブス(起業家)富野由悠季(アニメ作家)ジェームズ・スチュアート・ブラックトン(映像作家)アラン・ホールズワース(ギタリスト)宮崎駿(アニメ作家)

社会でのポジション→指示されてる以上の事しかできない。何やってんの?ほわい?と煙たがられ成果を評価できる人材が同じ異才以外にはいない。このタイプを発見し泳がせると望外な利益を生み出すことがある。ヌルゲーが嫌いで自らハンデを課したり、相手が居ないため自分と戦い始め、遥か彼方の地平でシャドーボクシングをしてるようにしか見えない。

世の中の評価→評価を得られることは稀だが、新ジャンルの神となる事もある。同業者からは奇異の目で見られるか無視される。そして良くも悪くもそれを許容してそれなりに人生を楽しんでる。病み過ぎると転生しようとするが思いとどまるものが多い。しても伝説にはならない。少年誌や経済誌など明後日のジャンルで扱われちゃう。他才への嫉妬は一切ないか、愚才、鈍才、凡才にすら嫉妬まみれ。弟子とかアシスタントなどの既成概念を嫌う。

 

天才「そもそも検索すらしないのに、むしろ世界に無い極まった物しか作れない」

世の中にしめる割合→56億7千万分の1 (地球上に1年に1人発見されるかされないか位の%)

著名人■ニルマル・プルジャ(アスリート)ゲイリー・キルドール研究者)ニュートン(科学者)バッハ(音楽家)ダヴィンチ(芸術家として)

造形センス フォルムが機能面そのものであるようにしか作れない。美術工芸界にもたまに降臨する。

社会でのポジション→運(環境)だより 誰も教えれないし、他人に教える気もない。再現性もない。天才以外では誰も検証出来ないのにそこにそれは確かに存在する。転生してもおそらくまた天才に産まれてしまう。

世の中の評価→評価に興味がない。運が良ければ他に得られない栄光を掴む一方で、生きているうちに評価されない人もいる。100年位経てようやく再評価され歴史の教科書とかに載る事もあるがほとんどが再発見されない。ただただ他才など眼中に無い。弟子とかアシスタントよりも母や少女などの純粋性が支えとなる。

 

神才「お茶碗がどうのよりも、むしろ検索エンジンを発明して、良いお茶碗が表示される様に腐心している」

造形センス 気が付いた一部の者が彼を造形のモチーフにする。

世の中にしめる割合→ΑΩ

著名人■ブラフマグプタ(哲学者)リー・チーユアン・ヤン&デビッド・ファイロ(起業家)ヴィントン・サーフ(科学者)エウドクソス(数学者)複利の発見者

社会でのポジション→プラットフォームを作ってるがその価値にすら気が付かれない。見えないけど無いと困る空気その物。

世の中の評価→破壊者であり創造者であるがそもそも気が付かれていない。他知的生命体の人類の取説にしか載らない勢い。神才の前には、評価や嫉妬の概念すら意味消失する。自分が神をアシストしてる。

 

 

ためになるリンク①▼ここにない才能はわしが勝手に作って定義してますあしからずw

 

 

如何でしたか。

私は、その人が作った「物」と「提示のしかた」を見ると、その人の「才能」「人格」まで見えてきます。

そんな話信じます?

 

(΄◞ิ౪◟ิ)ぐひひひひ。。

 

※新しい知見を得たら改変します。

 

2023年7月4日・著名人を無責任に追記

ぱっと思い浮かんだ人たちを挙げました。具体的な人物を挙げておけばよりイメージしやすい・・ですよね?主に「偉人」「有名人」「陶芸家」「趣味を通じて知っとる人」です。また、「王才+秀才」「奇才+王才」みたいな事が殆どだと思うのですが、より「こっちじゃね?」な方へと分類してます。会った事も話した事も無い上にあくまでも聞いた話や印象の話です。鵜呑みにしないでね。またに浮かんだ著名人が居たら追記してゆきます。

 

何れの才能の方も、キチンと見極めて、マッチングする方には、貴方に合うポジションを用意します。

貴方は作家向きだよ、とかって追い返すこともあります。

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